音の読み書き(世界共通言語)
音楽って溢れているけど、音楽を学ぶっていうことを今させて頂いていやす。
その話の前に前に書いた3つのちと言う話はアントロの話じゃない、との指摘を頂いたので、訂正しやす。同じ内容のことをユーゲントゼミナールの授業で聞いていて、その話をnoriさんともしていたのでその話もアントロの事だと思い込んでたようで、3つのちの考え方は日本であるそうです。
手前の大好きなHerrKernの授業。
パパ〜ン彼は好き勝手に最初声を出させて、それを左右の手と腕の動きでみんなの声を
揃えていって同じ音にもっていきやす。それから手と腕の動きでちょっとしたコーラスを
唄わせやす。彼が右手を一段上げたら、向かって左半分の人が1音上げる2、3音、、、。
左手もそうやって動かしやす。それから次に3等分して同じように声を出させやす。そしてメロディーを響かせやす。
きれいに混ざる事もあれば不協のなんとも気持ち悪い音になるときもありやす。
身体も使ったりしながら。
頭の口じゃない、つまり言葉として音をだすんじゃなくて自分の身体を楽器として
音を出すって感じにすることをやってるんだと思ぇやす。オイリュトミーにぴったり



「唄い揚げることは簡単だ、いかに繊細に唄うかってことに挑戦しよう。」って言ってやした。
ほんとそう。そうじゃないと音楽の本質なんて掴めない。身体を使って音楽を学ぶってことを消化するって感じ。まぁ音楽を学ぶ事を習ったら1人でそれを深めていけるとも言ってやした。ほんとそれが音楽を学ぶってことだと思ぇやす。
んで、初めて作曲のちょっとした仕方を教えてもらいやした。
でも疑問としてはどうして学校の授業で作曲を習わなかったのか???
音楽家の歴史、ただ音楽の教科書を読むことで手前が習ったのは、音楽はよく分からないというものでしたぃ。
音楽は手前にとっては無いと生きていけないものだった、と言うか唄を唄ってる時だけが生きていると感じられた。
でもそれはただ吐き出すだけ。
その全く極にある作曲と言う作業。ただ2章節3章節書いただけのわずかな時間の作業。
感想は
「作曲ってなんて
曖昧
な場所から始まるんだろう」ってこと、自分が思い描いたメロディーを一音一音譜面におとしていく。全然出来ないから♪3つ書くだけでも書き直し。自分の声や出す音がどんなに曖昧か聴いてしまってちょっとショック。でもそうなんだってことを知っているのと知らないので全然声の出方も変わりやした。間違っているって解ったら直せばいい。ひどいのは間違ってる事を認めないで、自分よがりに押し進めていく事。でもそんなことしたら曲はできやせん。作曲挑戦したら手前も少しは人間まともになるかなぁ〜
。
GeburtstagErzehrung(誕生を語る日)
先日、手前の唯ひとりとなってしまった同期のGeburtstagErzehrng(誕生のお話会)のSkettschースケッチ(前座)をしてきやした。
ここJugendseminarでは、3学期(1学期3ヶ月で計休みを挟んで一年間、4期をやる人もたまにいる)になるとみんなそれぞれの生い立ちを説明する日が毎週木曜日の19;30にありやす。
いろんな国から集まったいろんな年齢の人達が自分の父方母方のおじぃちゃんおばぁちゃんもしくはひぃおじぃちゃんひぃおばぁちゃん
の代までさかのぼって、どうやって自分が産まれて来たのかをみんなの前で1時間〜2時間かけて話やす。
アントロポゾフィーでは3つの「ち」がその人を定義付けていやす。
・家族の血
・時代の地
・産まれ持った自身の己
その3つを改めてみんなの前で語るんでさぁ。
みんなの前で発表するために書く。そして言葉にするってのはとても大きな意味がありやす。
それを調べることによって家族にも影響を与えるとも手前の上期生のnoriも言ってやした。この機会で40、50の親が自分の親の事を改めて知ることも出来やす。人によっては辛い家系の人も、あまり過去を知りたくない人も沢山いやすが、自分の道を探るJugendseminarでは、とても大切な時間。
とても独特の雰囲気を持ってやす。
まだ19とか20代後半までの若造がなんて思ってたらほんと的外れ。
若くてもほんとにいろんな経験をしてる子や世界各地のおじぃちゃんおばぁちゃんの話もほんとひとそれぞれ

時間になると鐘が鳴り、みんなが上の階にあるちいさなホールに集まって来やす。
一緒に生活してるみんながその日の人のースケッチーをしやす。
スケッチってのぁ、あらかじめ話しておいたその人の面白かったエピソードや、その人がいつもやってることなんかを
ちぃさな劇形式でみんなの前で前座としてやりやす。そうやって楽しい雰囲気になってそのあとにお話が始まりやす。
話し方も人によってさまざま、もちろん外国人もいっぱいいるから言葉の壁もあるけど、人に何かを本当に伝えたいと思ったらなにか伝わるもんがあるもんでさぁねぇ。


みんなそれぞれのペース、話し方でその時間は過ぎていきやす。
そしてお話が終わると前もって用意していたケーキやアイスなどでちょっとした和みムードのなかで(まぁそれも日によって違うけど)
話終わった人にみんながハグ(抱きしめ)に行ったり談話しながらゆっくりとみんなそれぞれの部屋に帰っていきやす。
同じ世代のいろんな国の人がどういう状況なのかを知ることも、また自分を見つめ直すことも出来る。
こんな背景を持っているからこの人は今こうなんだ、というのも見えて来やす。
Jugendseminarーー
履歴書なんかに書いても大きな役に立つかどうか解らねぇけど、多くの事を心に残してくれることは間違いねぇと思ぇやす。
確かに良く解んねぇ場所だけど、履歴書に書いてそれ何?って言われる時もあっていいっすゃねぇ。人生の中でそうやって少し立ち止まる時間ってのぁ宝物に成り得やす。
そしてそんな機会を作るのに遅いも早いもねぇっていっても、場所や周りの影響や力って大きいもんでさぁねぇ、


現代ってほんとに何にでも直ぐ意味を求めたがるけど、休憩したって、立ち止まったって、意味無いと思われたって、自分にとって大切な事ぁ手前さん自身が決めることでさぁねぇ。

誕生語り会をした手前の残り一人となった同期のSvenja

シャルトル行きのバス約10時間の休憩でお昼を食べた公園の近くにいたうしたち

行きのバスから見たノートルダム大聖堂
ここJugendseminarでは、3学期(1学期3ヶ月で計休みを挟んで一年間、4期をやる人もたまにいる)になるとみんなそれぞれの生い立ちを説明する日が毎週木曜日の19;30にありやす。
いろんな国から集まったいろんな年齢の人達が自分の父方母方のおじぃちゃんおばぁちゃんもしくはひぃおじぃちゃんひぃおばぁちゃん
の代までさかのぼって、どうやって自分が産まれて来たのかをみんなの前で1時間〜2時間かけて話やす。
アントロポゾフィーでは3つの「ち」がその人を定義付けていやす。
・家族の血
・時代の地
・産まれ持った自身の己
その3つを改めてみんなの前で語るんでさぁ。
みんなの前で発表するために書く。そして言葉にするってのはとても大きな意味がありやす。
それを調べることによって家族にも影響を与えるとも手前の上期生のnoriも言ってやした。この機会で40、50の親が自分の親の事を改めて知ることも出来やす。人によっては辛い家系の人も、あまり過去を知りたくない人も沢山いやすが、自分の道を探るJugendseminarでは、とても大切な時間。
とても独特の雰囲気を持ってやす。
まだ19とか20代後半までの若造がなんて思ってたらほんと的外れ。
若くてもほんとにいろんな経験をしてる子や世界各地のおじぃちゃんおばぁちゃんの話もほんとひとそれぞれ


時間になると鐘が鳴り、みんなが上の階にあるちいさなホールに集まって来やす。
一緒に生活してるみんながその日の人のースケッチーをしやす。
スケッチってのぁ、あらかじめ話しておいたその人の面白かったエピソードや、その人がいつもやってることなんかを
ちぃさな劇形式でみんなの前で前座としてやりやす。そうやって楽しい雰囲気になってそのあとにお話が始まりやす。
話し方も人によってさまざま、もちろん外国人もいっぱいいるから言葉の壁もあるけど、人に何かを本当に伝えたいと思ったらなにか伝わるもんがあるもんでさぁねぇ。



みんなそれぞれのペース、話し方でその時間は過ぎていきやす。
そしてお話が終わると前もって用意していたケーキやアイスなどでちょっとした和みムードのなかで(まぁそれも日によって違うけど)
話終わった人にみんながハグ(抱きしめ)に行ったり談話しながらゆっくりとみんなそれぞれの部屋に帰っていきやす。
同じ世代のいろんな国の人がどういう状況なのかを知ることも、また自分を見つめ直すことも出来る。
こんな背景を持っているからこの人は今こうなんだ、というのも見えて来やす。
Jugendseminarーー
履歴書なんかに書いても大きな役に立つかどうか解らねぇけど、多くの事を心に残してくれることは間違いねぇと思ぇやす。
確かに良く解んねぇ場所だけど、履歴書に書いてそれ何?って言われる時もあっていいっすゃねぇ。人生の中でそうやって少し立ち止まる時間ってのぁ宝物に成り得やす。
そしてそんな機会を作るのに遅いも早いもねぇっていっても、場所や周りの影響や力って大きいもんでさぁねぇ、



現代ってほんとに何にでも直ぐ意味を求めたがるけど、休憩したって、立ち止まったって、意味無いと思われたって、自分にとって大切な事ぁ手前さん自身が決めることでさぁねぇ。

誕生語り会をした手前の残り一人となった同期のSvenja

シャルトル行きのバス約10時間の休憩でお昼を食べた公園の近くにいたうしたち

行きのバスから見たノートルダム大聖堂

シャルトル体験記2
詳しく体験した内容を書いていけばきりがねぇですが、内容は体験した当人しか解らないもんだから、おぉこれは日本で今必要とされる事だろうなと感じた事について。
ここに来ている子達は若い。若いからこそいろいろ出来る。でもあまりにも時代にどっぷりと浸かり過ぎて自分が解らない。
Jugendseminarでの授業でもやりやしたが、今は光とされるものが正しいとされ過ぎているとのこと。ここで言う光というのはー金、地位、SEXーに代表されるもの。 でもそれと本当に対極をなして、まったく同じように闇も大切なんだという事を習いやした。
闇とは静寂、意思、生命に代表される形のはっきりしないもの。
虚勢や意地ではなく、本当に自分の考えや意思を理解し、知るため。自分というものを理解するために必ず必要なもの。
今回の聖堂地下での真っ暗な中でのコーラスや、それぞれが紙に向き合うスケッチ。そしてみんなで行動をともにするというなかで若者たちも身をもってそれを少し感じていた模様。 これは日本だけじゃなくて、いま全先進国に必要とされてる事のようでさぁねぇ。
んで日本のこととなると、日本人観光客がとても多かった。毎日毎日たくさんの日本人が来て手前らの横を通り過ぎて行きやした。
手前らが40分程みんなで意見や感じた事を言い合いながらみているステンドグラスや彫刻をデジタルカメラで撮って終わり。もうOK。
手前も以前だったらそうしていたかもしれねぇ。でも外国人たちと話しているとやっぱり恥ずかしい。観光、観光
分かってやす。説明なしで、聖書や実際の歴史を知らないで観るのはとても難しい。
時間がねぇのもわかりやす。でも、お願ぇですから少し挑戦。世界の遺産とされるものが後世になにを伝えようとしてくれているのか。
2つもある目の玉で。
先進国として十分発達してきた日本の、戦争によって貴重な文化を失ってしまった日本の次の課題。手前らの心ってほんとに植物のようにしか育たない。
結果が重視されるけど、今評価されている芸術も当時はだれも評価しなかったもの、ましてやお金なんてビタ一文ださなかったもんが億の値がついてる。
先週、noriさん宅におじゃまして現代芸術について話やした。過去の芸術と現代のモダンと呼ばれる芸術。違う課題を持っている。
昔はクラッシックがエンターテイメントで、芸術が日常だった。
広い目で。AdlerBlickー鷲の目(広い視点で観るたとえ)で見ることが日常的にできるようになったらいいなぁ。
こちらは、落ち葉が凍って月の静かな光できらきらと光る季節となりやした。
Jugendの今期卒業式も来週に迫ってきやした。
オイリュトメウムでの初めてのクリスマス。はぁこの実りを活かせるように毎日気を抜かねぇでぼちぼちやっていきやす


シャルトル体験記1
6日間のノートルダム大聖堂密着!!
シャルトルはよくパリ旅行のついでとかで日本では日帰りのコースで来る方が多いようですが、さすがユネスコ世界遺産だけあって、
読み解いていけば沢山の事を語ってくれやす。
6日間元修道士たちが使ってものを作り直したホテルに泊まり、毎日聖堂内のステンドグラス一枚一枚にあるお話や、外からいろんな角度からの彫刻や外観の内容、印象を観てみんなで感想意見を出し合いながら貴重な話を聞く、彫刻全体をスケッチ。コーラス、音楽。以上の3方向からの試みとなりやした。
さてどうお話したらいいやら。
え〜っ、ついた初日、聖堂地下にいってみんなでコーラス。jugendseminarの講師MarcoBindeliがコーラスを普段からカリキュラムの1つとしてやっていて前から少しずつ練習していた曲をソプラノ、アルト、テノール、バスに分かれてやりやした。
難しい話は抜きにして、みんなの一体感みてぇなもんが自然と出来てきやす。そして聖堂の彫刻のスケッチ、まずは正面北東側からの全体のスケッチ。いきなり始めるんじゃなくてみんなでどういう風に見えるかを最初に2,3分ただ見る時間をとって、それをみんなで言い合う。
そしてから書き始め。
じっくり観ているとそこに幾何学的要素があったり、リズムがそこに見えてきやす。それが何を語っているか説明がある時もあれば、当時の情報がもうなかったり、
それぞれで答えを出さないといけなかったりと、いろいろ。
そしてギリシャ時代からの光の幾何学を使った建物の建て方。どこまでも真っ直ぐに伸びる線や細部の曲線がとても繊細。
眼で流れを読み、体験し、その建てられた意味、内容を拝聴し。耳と身体と声でみんなで体験を大きくし合い。書くことでまたそれぞれが身体と内面を動かす。
そうやって毎日を繰り返していると、だんだんみんなの繋がりが強くなっていくのを感じやした。教会とか神聖とされる空間ってきっとそんな力も持っていやす。それを作り上げてきた当時の人達の感覚と技術はまったく目を見張るばかりでやした。
Jugendseminarは将来を決めかねている若者たちが来るところなので、年齢も若い人達が多いですが、彼らもいつのころからか、協調することや全体の事を考えるという事を学んでいっていたようでさぁ。

教会地下のマリア像の横にある絵

教会地下は小さな赤い光が並んでいるだけ。そのなかで唄うと不思議と静かな気持ちになりやす。
シャルトルはよくパリ旅行のついでとかで日本では日帰りのコースで来る方が多いようですが、さすがユネスコ世界遺産だけあって、
読み解いていけば沢山の事を語ってくれやす。
6日間元修道士たちが使ってものを作り直したホテルに泊まり、毎日聖堂内のステンドグラス一枚一枚にあるお話や、外からいろんな角度からの彫刻や外観の内容、印象を観てみんなで感想意見を出し合いながら貴重な話を聞く、彫刻全体をスケッチ。コーラス、音楽。以上の3方向からの試みとなりやした。
さてどうお話したらいいやら。
え〜っ、ついた初日、聖堂地下にいってみんなでコーラス。jugendseminarの講師MarcoBindeliがコーラスを普段からカリキュラムの1つとしてやっていて前から少しずつ練習していた曲をソプラノ、アルト、テノール、バスに分かれてやりやした。
難しい話は抜きにして、みんなの一体感みてぇなもんが自然と出来てきやす。そして聖堂の彫刻のスケッチ、まずは正面北東側からの全体のスケッチ。いきなり始めるんじゃなくてみんなでどういう風に見えるかを最初に2,3分ただ見る時間をとって、それをみんなで言い合う。
そしてから書き始め。
じっくり観ているとそこに幾何学的要素があったり、リズムがそこに見えてきやす。それが何を語っているか説明がある時もあれば、当時の情報がもうなかったり、
それぞれで答えを出さないといけなかったりと、いろいろ。
そしてギリシャ時代からの光の幾何学を使った建物の建て方。どこまでも真っ直ぐに伸びる線や細部の曲線がとても繊細。
眼で流れを読み、体験し、その建てられた意味、内容を拝聴し。耳と身体と声でみんなで体験を大きくし合い。書くことでまたそれぞれが身体と内面を動かす。
そうやって毎日を繰り返していると、だんだんみんなの繋がりが強くなっていくのを感じやした。教会とか神聖とされる空間ってきっとそんな力も持っていやす。それを作り上げてきた当時の人達の感覚と技術はまったく目を見張るばかりでやした。
Jugendseminarは将来を決めかねている若者たちが来るところなので、年齢も若い人達が多いですが、彼らもいつのころからか、協調することや全体の事を考えるという事を学んでいっていたようでさぁ。

教会地下のマリア像の横にある絵

教会地下は小さな赤い光が並んでいるだけ。そのなかで唄うと不思議と静かな気持ちになりやす。
前提(ジェンダー)
フランス・シャルトルから帰って来やした。
またユーゲントゼミナールで素敵な体験を沢山させてもらいやした。
でも前回のblog内容に習って、タイトルだけ書いてた先週のことを。
格好つけることをやめる決心をしたので、こんな書き方もいいかなぁなんて思いやしてね。
自分のなかでちゃんと内容が消化できるまで待ってあげること。
え〜、シャルトルに行く前の週、jugendseminarでのアトリエでの話。
Anna(イタリア人とドイツ人のハーフの子)とnoriとの話で、Annaが「買い物に行くけど広告ばかりで何を買ったらいいかわからない」とのコメントにnori(jugendseminarの手前の先輩)のおもしろい突っ込み。「広告からもCMからも信じられないくらいの前提を強制されている
そしてそれはジェンダーの問題とも関係している。」とのこと。
何気ない話でもちゃんと考えて話せばなかなか深い内容になるもの。
細かく言えば男はこの色とか女はこんな色とか、こんな外見だから、何人だから。本当はそんな決まりなんてない。だけど生活していく上じゃ”人からどう見られようがどうだっていい”って姿勢じゃうまかねぇ時だって沢山ある。
それでも心のどっかに「自分はこう思う」とか「自分はこうありたいからこうしてる」っていうのを持ってるのともってないのじゃ大きな違い
もしくは自分の目標に出来るような人がいたら、その人の事を思い浮かべるとか、自分の過去を見つめるとか、あのときあの人が言ってくれた言葉やその時を想うってのも上記のための具体的な1つの良い方法だと思ぇやすねぇ。
んでジェンダーってのは心理学用語で、ご存知の方ももう増えてきてると思ぇやすが、心の性別みてぇなもん。
それは実際の性別とは関係の無いものというもの。そのことを今日考えてたら★ばってん荒川★という福岡の芸人さんを思い出しやした。
いけねぇいけねぇ話が反れちまぅ。
そうやって意識しないうちに沢山の前提に縛られている、という話。
以前だったら手前もただ「そうかぁ」って思うだけだったけど、jugendseminarやドイツの生活で自分で考える事を訓えて貰っているからいまはそれを「どうやって変えていけるんだろう」
って考え方になりやす。
なぜ?ではなく、どうやって?を考えるのがシュタイナー教育だとシュタイナー学校卒業生も言ってやした。
どうやって

うーn。自分のことを良く知って、自分に正直にいること?
なかなかどうして一人では難しいことだから、やっぱり人との関わりの中で見つけていくもんだぁ。
そういう意味でもここJugendseminarでの男女交えての生活は本当に為になってやす。
女性と男性それぞれに持っている心と身体の傾向。
そしてその性別を抜きにした時に見えるその人物の持っている感性や立ち振る舞い、視点や生活のリズム。
共同体って言ったら変に受け取る人もいるかもしれやせんが、人の近い関わりってのは本当に人を動かしてくれやす。心も、身体も。


シャルトルでの貴重な体験はまた次のblogで書いていこうと思ぇやす。
写真はシャルトル行きの途中に拠った教会の天井の写真。天井のアーチ型は人のDenken(考える)やGeistの繋がりを現したもんだそうでさぁ。




またユーゲントゼミナールで素敵な体験を沢山させてもらいやした。
でも前回のblog内容に習って、タイトルだけ書いてた先週のことを。
格好つけることをやめる決心をしたので、こんな書き方もいいかなぁなんて思いやしてね。

自分のなかでちゃんと内容が消化できるまで待ってあげること。
え〜、シャルトルに行く前の週、jugendseminarでのアトリエでの話。
Anna(イタリア人とドイツ人のハーフの子)とnoriとの話で、Annaが「買い物に行くけど広告ばかりで何を買ったらいいかわからない」とのコメントにnori(jugendseminarの手前の先輩)のおもしろい突っ込み。「広告からもCMからも信じられないくらいの前提を強制されている
そしてそれはジェンダーの問題とも関係している。」とのこと。
何気ない話でもちゃんと考えて話せばなかなか深い内容になるもの。
細かく言えば男はこの色とか女はこんな色とか、こんな外見だから、何人だから。本当はそんな決まりなんてない。だけど生活していく上じゃ”人からどう見られようがどうだっていい”って姿勢じゃうまかねぇ時だって沢山ある。
それでも心のどっかに「自分はこう思う」とか「自分はこうありたいからこうしてる」っていうのを持ってるのともってないのじゃ大きな違い

もしくは自分の目標に出来るような人がいたら、その人の事を思い浮かべるとか、自分の過去を見つめるとか、あのときあの人が言ってくれた言葉やその時を想うってのも上記のための具体的な1つの良い方法だと思ぇやすねぇ。
んでジェンダーってのは心理学用語で、ご存知の方ももう増えてきてると思ぇやすが、心の性別みてぇなもん。
それは実際の性別とは関係の無いものというもの。そのことを今日考えてたら★ばってん荒川★という福岡の芸人さんを思い出しやした。
いけねぇいけねぇ話が反れちまぅ。
そうやって意識しないうちに沢山の前提に縛られている、という話。
以前だったら手前もただ「そうかぁ」って思うだけだったけど、jugendseminarやドイツの生活で自分で考える事を訓えて貰っているからいまはそれを「どうやって変えていけるんだろう」
って考え方になりやす。
なぜ?ではなく、どうやって?を考えるのがシュタイナー教育だとシュタイナー学校卒業生も言ってやした。
どうやって


うーn。自分のことを良く知って、自分に正直にいること?
なかなかどうして一人では難しいことだから、やっぱり人との関わりの中で見つけていくもんだぁ。
そういう意味でもここJugendseminarでの男女交えての生活は本当に為になってやす。
女性と男性それぞれに持っている心と身体の傾向。
そしてその性別を抜きにした時に見えるその人物の持っている感性や立ち振る舞い、視点や生活のリズム。
共同体って言ったら変に受け取る人もいるかもしれやせんが、人の近い関わりってのは本当に人を動かしてくれやす。心も、身体も。



シャルトルでの貴重な体験はまた次のblogで書いていこうと思ぇやす。
写真はシャルトル行きの途中に拠った教会の天井の写真。天井のアーチ型は人のDenken(考える)やGeistの繋がりを現したもんだそうでさぁ。







