この前、静かな心について書いたら反響が結構大きかったので、今回はどうやって静かな心を実践していくかぁってとこで。
只今、Lehrerseminar(教員養成コース)の授業で幾何学をやっておりやす。
全くおもしろい授業形態でさぁねぇ。
はじめからPhilosophie der Freiheit(自由の哲学)からGrichschPrastick(ギリシャ彫刻)と音楽、次に天文学。んでもって次は治療教育理論と現場での実習。次は幾何学とSchulungsweg(学びの道、教授法)。
手前達オイリュトミストは受けれやせんが先生コースの人たちは次に絵画の授業。はぃ。これはヴァルドルフ(シュタイナー)学校の先生養成コース内容でさぁ。
話が脱線してしめぇやした。
えっと、考える力って何?って話でさぁ。
考える力。手前の中ではそれは瞬発力のような力。集中力。
その力がかなり衰えている。
はぃ、1つの点がそれぞれ4つの点の繋がりを持っている図形は何?

2つのピラミッドを1つを上向き1つを下向きにして4角形を接合面として重ねた図形。
はぃ、んじゃぁ、その点は何個?線は?面は?
はぃ、んじゃぁ、その図形を斜め45度に切っていったらどんな図形が表れてくる?
何処に?どんな時に特別な切断面が表れる?
この力。
創造して集中して作り出す力。
それが考える力。
この力がないからみんな色んなところに気が散ってしまって心がざわついてしめぇやす。
ひとつひとつ。
複雑な立方体も全てサイコロの形から造っていくのが面白かったでさぁ。


球体をやりたいと言ったらそれは難しすぎると言って却下されやした。


そして、もう1つはリズムs。
この幾何学の先生も面白い先生で学びの道の授業の中で健康についてたくさん語ってありやした。
seele(精神)は規則正しいリズムを求めているのだそぅ。
いつもだいたい同じ時間に心の静けさを持ってあげること。
この2点が出きればもう都会の雑踏に心を乱されることもなくなりやす。


あと言語造詣・言語形成。

外から色んなものを形づくる力でオイリュトミーにもとても大切な要素でさぁ。
空間を感じるのにも大きな役割を果たしやす。
宗教が多くにおいて意味を持たなくなっちまった日本にゃ
宗教の代座として、役に立つもんだと思ぇやす。
ドイツ語の詩 von Erika Beltle(オイリュトメウムシュトゥットゥガルト創設金の多くを出資した方の奥さん)
只今、暗記、練習中。
Ewig
Moegen sie den Tod wie Koerner streuen,
moegen Stuerme Gottes Spur verwehn:
Wesen,die in Liebe sich erneuern,
koennen nicht im Leeren untergehn.
Mag Gawalt der Menschen Wege trennen:
Seele laesst von Seele nicht.
Geister, die dem Geister sich bekemmen,
finden ewig sich im Licht.(穀物を蒔くように死する
嵐の神が轍(わだち)を吹き消す
本質よ、それは愛の中で再び新しくするもの
飲み干し消えることはない
権力が人の道を別つ
心からは心をそうさせることはない
精神よ、その精神が精神を認めさせ、
光の中に永遠を見つける。)
In der Freiheit gestellt
Du suchst vergeblich
andern mitzuteilen,
was als Erfahrung
dich im Leben traegt.
Nur der ist faehig,
deinem Rat zu folgen,
der in der Seele
selber danach fraegt.
Der Freie muss Erkenntnis
frei erringen
als seines Daseins Ziel
und Unterpfand,
und einzig das
kann ihm zu Herzen dringen,
womit er schon
im Innersten verwandt.(あなたは他に分け与えることを探していて、
それは経験としてあなたの歩みを進める
ただそれだけが力
あなたの車輪を担う為の、
そしてその力はあなたの心に
あなた自身を問い掛ける
自由とは知覚を
自由に勝ち取らなければいけないこと
そこにあるあなたのゴールと
証として
そしてただ1つ
それはあなたの心臓へと推し進めることが出来る
その自由によって
あなたの中の繋がりの中へと)


テーマ:心と体にいいことはじめよう! - ジャンル:心と身体
3週間の実習に行って、只今帰ってまいりやした。
Stuttgart近郊のKirchbergと言う小さな田舎町。
今回の実習で学んだ事は一言「Ruhe(静けさ)」
今まで都会にしか長く住んだ事がないので、遠くまで見える空にとても感動!
いつも見てる同じ空とは思えなかった。空が近くて手を伸ばしたら届きそうな感じ。

(写真1)
夜は人口の光が少なくて、晴れた日は星がとても綺麗だった。
星って生きてるんだなぁってのを
見せられた。そして星同士の繋がりと自分との繋がりを少し意識出来たのが良かった。

ゆっくりと星を見ていると、太陽が毎日昇って下りても、高層な建物が壊されようと、歴史が
変わっていこうと、星達は遠く自分達に合った距離を保ちながら数千年輝き続けているんだなぁと思いながらそびえていた近くの木をふと見たら、この枝は太陽じゃなくて星に向かって伸びてるんじゃなかろうか。なんてことをふと思わされた。
そして手前達も。
そんな実習先は,WohnGemeinschaft(共同生活体)というドイツでは一般的な、みんなで生活を共にするって場所。手前の実習先は軽度の障害を持った方ばかりで、冷蔵庫に薬がいつも入っている以外は、特別目につくところも無く、まぁ、たまに感情的になったり落ち着きが無い時があったりするけど。
でもそれは心と身体が直結しているから。確かに都会では生活出来ないかも知れないけれど、それが障害かって言われたら、都会の雑踏の方が手前には障害なような気もしやす。
3週間遊休のような気分でゆっくりと生活させてもらいやした。
帰ってきてからの都会での生活に今、実習帰りで体調を崩してる人続出^^;)

話を聞くと結構みんな重度の障害の方とお仕事させて貰ったようで、疲れているとのこと。
手前は仕事と言っても朝食夕食の手伝いでちゃんとうまく進んでいるかを主に見守るだけ。
あとはみんなと一緒に遊ぶのも仕事だと言われて一緒に遊んでやした。
自立を最終目的にしている人も、1人では生活できない人もいやす。
大きく上げて3点体験しやした。
・オイリュトミーシュタープ叩き
・金が無くなった
・Ruhe(静けさ)
オイリュトミーシュタープってのぁ手前等オイリュトミストが使う銅の棒のこと。
その棒の表面を叩いて握りやすくするんですが、まずお手本を見せてもらって、
やってみてって言われてやってみる。1m弱程の棒をハンマーで叩く、叩く。

(写真2)
終わって先生のと見比べる。
違う。先生に見せてみる。
「もう一度満遍なく全部叩いて」
「はい」200回?300?何回叩いたか解らない程叩いた銅棒をもう一度初めから叩く。
何本か終わって1日終了〜。
3日目程になって
先生からの再度お手本。
叩き終わった表面を見ると、先生のは静かな水の表面のよう。叩くリズムもいつも一定。
手前のはいかにも細波立っている。「ハァ」。体と心の練習が必要でさぁ。
心の中を見せられたようでまだまだだと見せ付けられた。
でも、手前は割とふわふわしているのでこういった地に足のついた作業はとても良かった。
3週間目の初め。
手前の部屋から金が消えた。
手前の部屋にはカギがついてなく、同僚からも気を付けてって言われていたのに。
1日部屋に置き忘れた。
慣れてきて福祉の場所だからって安心した自分がばかだった。
でも、最終的には帰って来やした。
それは1人の女の子。
っていっても歳はもう26くらい。
見た目はとても若く10代って言っても通用しそう。
彼女は日本語でなんていうのかわかんねぇですが、窃盗中毒?
えー。中毒のように盗みという衝動が来ると抑えられないという精神的な病。
彼女は幼くして両親に育児放棄され、施設から、次にある家族と一緒に生活すること
になって、(その家族ともあまり良くはなかったよう)その新しい両親も数ヶ月前に他界したってことでぇ。
手前が今回実習した所の人はみんなやさしく、ただコミュニケーションを取るときに静かになる
まで待ってあげさえすれば、問題なく生活出来る人達。
感じ過ぎるんでさぁ。

手前はオイリュトミーを通してみんながなおざりにしてしまおうとしている感覚。大切なものを
見失おうとしている感覚を喚起していきてぇ。
そして、倫理感と自分の道を照らしてくれるもの。
代表される例としてはフードを被ってウォークマンを聴きながら、俯いて歩いている人。
彼等はオイリュトミーで最も必要とされる後ろの空間を感じることを見失おうとしている。
それはこの情報社会でいいことなんでしょうかぃねぇ。
感じる事を自らしなくなる、多すぎる情報に狂ってしまわねぇように。
それは、それは、手前にとっちゃあ悲しいね。
人間なんだもの。生きてるんだものなぁ。
御天道様に背を向けて、自分の影にうずくまる。
闇、暗さを求めて。
都会には自然な暗さ、静けさが少ない。
彼等はそれを求めている。
それは成長する上で必ず必要なもの。
植物は陽に葉を伸ばし地に根を張るように。
根を張るには冷たさと暗さは必要。
昨日ドイツ人から「暗い」という漢字が。
太陽の音と書くのはとっても興味深いと言われ、改めて日本の
暗さの意味を考えさせられやしたねぇ。


テーマ:自己啓発 - ジャンル:心と身体
急がない事の難しさ
呼吸する事を教えよう(Waldorfschule)
本質の現れ方現し方
2007の11月?くらいにユーゲントゼミナール(手前が以前所属していたところでいまもその部屋を使わせてもらってやす)に1人の女の子がやってきやした。
彼女は日本でシュタイナー学校の教員と雑用をしていたそうなんですが、一度本当にそれがやりたいか解らなくなって世界旅行をする事を決意したそうな。
旅費も全部自分で稼いだお金の貧乏旅行ということでしたが、昨今稀に見る根性だと思ぇやす。感心しやした。
その動いてみようと思って行動に移す、行動力と計画力。若さという事もあるだろうけど、逞しいなぁ頼もしいなぁ、と思ぇやした。
その彼女から聞かれやした。
「その内容がほんとに大切なんじゃから、別に現地の言葉で勉強せんだってえぇんじゃないの?(岡山弁)」(ちなみにシュタイナーが書いた著書、人智学について)
と言う疑問からの応え。
言語には発生言語からの根本的な違いがあることがありやす。
例えば
理解する。
理(ことわり)を解く(とく、ほどく)
英語では
understand.
under(下に)stand(立つ、ある)
ドイツ語では
verstehen
ver(受動的な動詞などに使われる前置詞)stehen(立つ、ある)
ラテン語を同じ根に持つものでも違うのに日本語だったらもっともっと大きな違い。
必要不可欠な
英語では
necessary
necessitarian(必然的な)
ドイツ語では
notwendig
not(苦しみ、苦悩) wendig(利用しやすい、運転しやすい、俊敏な)
現地の言葉で現地の事を学ぶということ。意味内容を知ることと意味内容を本当に理解する事は違う。背景に何があるのが。あくまでその考えた人のそこに至ったプロセスを見たり感じたりすることを学んでいくことを目指したい。
それが現語で学ぶことの利点と意味だと思ぇやす。
人に何かを話すと言う事と、何かを伝えると言う事は違う。

言葉は情報だけに成り得ると言う事を十分に考慮しておかなければいけねぇと思ぇやす。それが大きな誤解や隔たりを産む原因になってしまうから。
体験記最終話。
すっかり最終話まで時間がかかっちまいやした。
うっかり最後まで書くの忘れちまうとこだった

できたら旅行の6日間毎日分一日ずつかいて行きてぇ所ですがぁ、いかんせん個人的な見解が出過ぎちめぇやすから、
今回のではノートルダム大聖堂の体験の目玉をひとつ。
聖堂内には北東側入り口ガブリエル塔とミヒャエル塔を左右に見て入っていった正面下に普段は椅子が並べてありやすが、
手前らみてぇな団体などが申し込むとその椅子を片付けさせてくれやす。それがどの団体でも申し込めば出来るのかどうかは分かりやせんが、その沢山の椅子を片付けるとその下、床に円形の大きな迷路が現れやす。”Labirince(ラビリンス・迷宮)”と呼ばれているそれは別に難しくも何とも無く、だれでもが必ずゴールの中心まで行ける1本道。
でもその道はとてもよく考えられていて、歩いていると自分が今どのあたりの地点にいるのか、全く判らなくなりやす。そこを夕方8時前。みんなで椅子を全て脇に寄せ、それぞれがキャンドルを持ち、それを一先ず円の周りにそれを置いて1人ずつ同じリズムで進んでいきやす。
決して長すぎず短すぎず、講師のChristofから教えてもらった歩き方で一人が行ってしばらくするとまた1人と順順に入っていきやす。25人程の人間がそこに入っていくとよくすれ違う人、また1回しかすれ違わない人。
でも道は一本道だからちゃんと道を見ていれば迷う事はありぁせん。みんなが入ってある所で全体がひとつの呼吸をしているような不思議な少しオイリュトミーと似た感覚が訪れやした。
そしてしばらくすると1人が中心に着き。正面南西側に向かって抜けていきやす。 自分のテンポで。自分の歩幅で。
最後に、円に戻ってきて真っ暗な中、灯るたくさんのロウソクを手に持って何も言わず、でも出て行くタイミングはみんなもう知っていやす。自然とその時が訪れるんでさぁ。
そしてロウソクを消して出て行きやした。
始終全くなにも話すことなく行われたその作業は、ある人にとっては大きな意味を成し、またある人にとってはよくわからないものでありやした。それでも言えるのは道を進むときはみんなそれぞれが自分の道を進んだ事。
真っ暗な教会の中に灯る沢山の小さなキャンドルの光は今でも。
目に焼き付いていやす
あ、写真は年越しをしたフライブルクのアントロポゾフィー関係の施設にあった子供用
ブルドーザー

勉強も大事だけど、遊びも大事!!!!!!
テーマ:自己探求 - ジャンル:心と身体
明けましておめでとうごぜぇやす。
なにがめでてぇんだか判りやせんが、また新しい始まりだと思って精進してまいりやす。
まぁ、オイリュトミストにとっては常に新しい瞬間でないといけねぇと先生によく言われていやすがね


え〜、新年も明けて学校がまた始まりやしたが、クリスマスから年明けまでお世話になったYuekiさんと日本とドイツの文化の現状について、今の芸術のあり方、新しい世代のお年寄りとこどもたちについて、と色々な内容で深く話すことが出来てとてもよかった。
また、彼女からfolloというダンスやアレキサンダーテクニックを実践してもらったり、日本の本(ねじまき鳥クロニクル:村上春樹や精神科医との著名人の対談の本、料理の本など)を読ませてもらったり、星を眺めて何がどの星座か教えてもらったりと、充実しておりやした。
えっと新年明けでもう遅いのですが、
クリスマスがなぜ25日なのか

、へーっと思ったので報告致しやす。
古くは太陰暦の時代までさかのぼりやす。といっても日本では江戸時代頃からとわりと新しい。その太陰暦の頃は一年が365,24日ではなく、354日だった。
んでその終わりをクリスマスにしたそうです。だから12月25日から1月6日の12日間は本当は昔無かった。太陽暦の為に作って伸ばした日にちなんでさぁね。
まぁ、そんなのどうだっていいって言われるかもしれねぇですが、これだけ日本にも定着しているクリスマスの意味を知っていてもいいかと思ぇやす。ちなみに↑の理由からこの12日間はあまり働いてはいけないそうです。はぃ、日本のみなさん仕事先に報告しておいて下さい


年末年始、ドイツの静かなクリスマスを過ごして(心が静かになる)雪の積もったFreiburg(フライブルク)の山の星を見ながら朝焼けを見ていると、今まで自分が振り回されていた事が、なんて自分以外の人の情報だけから自分を縛り付けていたんだろうということに呆れやした。

紅く輝く火星と金星に間にある地球、青く輝くシリウスと月。
この周りに見得ている景色も、あの輝いている星からしたら、なんて普遍でないんだろう。
人の作り上げた暦もとても複雑になってしまった学問も、
最近幾何学を少し描く練習をしていやす。これはWaldorf(シュタイナー学校)で考える力を育てる為に機能するのだそうでさぁ。

自分で考えるということ。感じる事。
最後に一つ。オイリュトミーをしていて先生に言われたんですがね、人の自我ってのぁ
ロウソク、
キャンドルみたいなもんだって。別に1人1人良いも悪いも無ぇって、羨ましがる事も疎む事もなく、そう思えたときにまた心が静けさを手に入れたような気がしやした。
日本にいる時は都会でキャンドル、焚き火なんてのもできなかったけど、ぜひやってみてくだせぇ。(安全な場所で)そして出来ることなら勉強するか良く知ってる人と一緒に

を観に出掛けやしょう。

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