シュタイナー氏は日本のオイリュトミーについて好きにやらせろと、
オイリュトミーを学ぶ中色んな人と知り合って、只今ちょっとチャクラの事とカーマスートラの事を調べておりやす。
オイリュトミーの多数出ているドイツ語の本のなかでもチャクラの事と併用している本は感覚的に判り易いようなんでさぁ。
目に見える音楽言葉としてのオイリュトミー。
そこで使う感覚は普段生活している無意識にやってることを意識的にやることから始まりやす。
現代人が意識的に使う事が少なくなってきている、もしくは意識的にすることが難しくなっている感覚。
彫刻から動きを読み取る力、やった人間の思考を読み取る力。人と人との繋がりを感じる力。自分自身を通して表現する力。
その目に見えない記述する事が容易くない感覚。
それがあやふやになっていく今の世の中で、それが不安となって大きくなりやす。
現代芸術で良く題材にされるテーマ、なにが正しくてなにが間違いなのか。美しいものが芸術なのか。
何が善で何が悪なのかそれらを良い悪いとして扱うべきなのか。
少しづつでも手前のオイリュトミーを具体的にしていく為にこうやって書き進めていく事にしやす。
一年間。
Stuttgartオイリュトメウムで人間関係、講師との関係、オイリュトメウムが前年から始めたシュタイナー学校教員養成コースからの授業との折り合い。
本当に多くのことを学ばせてもらいやした。
オイリュトミーのダンスと他の身体芸術との違う点はオイリュトミーを他の人とやっていく中で共同の感覚が生まれてくるということ。
オイリュトミーの大切な点として思考、感覚、身体を繋げていくという作業をするということ。
初めは一人一人が、そしてそれを他の人と繋げていく、空間を形づくっていくというもの。
基本としてアルファベットと音階が決まっていやす。フォーム(空間をどう動くか)。そして表現していく音楽や詩の内容とそれぞれの人によっての表現方法。そしてそれらは全て心臓を通して本当に理解できるってことらしいでさぁ。
ん〜、オペラとも少し通うところがあるような感じを手前は持ってるし、御伽噺をやる時は演劇のような感情も使いやす。
そこはもう私立シュタイナー学校の大切な一科目でしたからねぃ。
だけどいま、さまざまな教育問題の中ドイツのシュタイナー学校の中でもオイリュトミーを主要科目から外す学校も出て来ていやす。
それは色々に分かれたオイリュトミストの中での危機を現しているような気がしやす。
世界中にあるオイリュトミー学校。さまざまに分かれる意見。この物質主義社会でオイリュトミーもシュタイナー学校(ヴァルドルフ学校)は常に危機を迫られている気がしやす。
7月の20日から9月の初めまでの日本の滞在。
いまから不安がいっぱい。
なれた食べ物、水、空気の違い。なにせ手前の家は博多の真中あたり、、、、
はぁ、お金ないのに水とか買いたくねぇなぁ。
この際隠居して、、、、でもオイリュトミーを色んな人の役にたてたいなんて思いながらその前に需要あるのかって話しだけど、これが手前の道ですからねぃ。生きていることに感謝して、お金はまぁ、ね、野草とかに塩かけて食いながら、でも本当に生活してる土地のものを食べるってのぁ大切な事でさぁ。
さぁさぁ都会とオイリュトミーの共生、、、、手前の課題となるやらどうやら、、、ドイツでウェレダとかのマッサージを学んでそれを生活の糧にしてやれたらいいなぁ。
少しずつでも確実に形にしていこうと思ぇやす。
こぅやって書きながらね、まずは何事も心構えから。
こっちで知り合った日本人の人に教えてもらった事。
ほんとうに日本を離れてから日本を大切に思えるようになったことを有り難く思ぇやす。
あと最初に書いたチャクラの話とも少しつながりやすが、最近影と光を描くってのに挑戦してまた一つ何かを学んだ気がしやす。
これは場所環境関係ないので意欲があったら是非やってみてくだせぇ。
それはただキャンドルを描くってぇだけ。絵コンテ用なんかの鉛筆の芯だけの鉛筆なんかで。
影の美しさ 影を描く、それがこんなに心を落ち着けるもんだとぁ知りやせんでしたぃ。
黒と白だけなのに指先も使いながらあいた時間なんかに少しづつ。時間をかけるってのが大切な点でさぁ^^☆。
オイリュトミーの多数出ているドイツ語の本のなかでもチャクラの事と併用している本は感覚的に判り易いようなんでさぁ。
目に見える音楽言葉としてのオイリュトミー。
そこで使う感覚は普段生活している無意識にやってることを意識的にやることから始まりやす。
現代人が意識的に使う事が少なくなってきている、もしくは意識的にすることが難しくなっている感覚。
彫刻から動きを読み取る力、やった人間の思考を読み取る力。人と人との繋がりを感じる力。自分自身を通して表現する力。
その目に見えない記述する事が容易くない感覚。
それがあやふやになっていく今の世の中で、それが不安となって大きくなりやす。
現代芸術で良く題材にされるテーマ、なにが正しくてなにが間違いなのか。美しいものが芸術なのか。
何が善で何が悪なのかそれらを良い悪いとして扱うべきなのか。
少しづつでも手前のオイリュトミーを具体的にしていく為にこうやって書き進めていく事にしやす。
一年間。
Stuttgartオイリュトメウムで人間関係、講師との関係、オイリュトメウムが前年から始めたシュタイナー学校教員養成コースからの授業との折り合い。
本当に多くのことを学ばせてもらいやした。
オイリュトミーのダンスと他の身体芸術との違う点はオイリュトミーを他の人とやっていく中で共同の感覚が生まれてくるということ。
オイリュトミーの大切な点として思考、感覚、身体を繋げていくという作業をするということ。
初めは一人一人が、そしてそれを他の人と繋げていく、空間を形づくっていくというもの。
基本としてアルファベットと音階が決まっていやす。フォーム(空間をどう動くか)。そして表現していく音楽や詩の内容とそれぞれの人によっての表現方法。そしてそれらは全て心臓を通して本当に理解できるってことらしいでさぁ。
ん〜、オペラとも少し通うところがあるような感じを手前は持ってるし、御伽噺をやる時は演劇のような感情も使いやす。
そこはもう私立シュタイナー学校の大切な一科目でしたからねぃ。
だけどいま、さまざまな教育問題の中ドイツのシュタイナー学校の中でもオイリュトミーを主要科目から外す学校も出て来ていやす。
それは色々に分かれたオイリュトミストの中での危機を現しているような気がしやす。
世界中にあるオイリュトミー学校。さまざまに分かれる意見。この物質主義社会でオイリュトミーもシュタイナー学校(ヴァルドルフ学校)は常に危機を迫られている気がしやす。
7月の20日から9月の初めまでの日本の滞在。
いまから不安がいっぱい。
なれた食べ物、水、空気の違い。なにせ手前の家は博多の真中あたり、、、、
はぁ、お金ないのに水とか買いたくねぇなぁ。
この際隠居して、、、、でもオイリュトミーを色んな人の役にたてたいなんて思いながらその前に需要あるのかって話しだけど、これが手前の道ですからねぃ。生きていることに感謝して、お金はまぁ、ね、野草とかに塩かけて食いながら、でも本当に生活してる土地のものを食べるってのぁ大切な事でさぁ。
さぁさぁ都会とオイリュトミーの共生、、、、手前の課題となるやらどうやら、、、ドイツでウェレダとかのマッサージを学んでそれを生活の糧にしてやれたらいいなぁ。
少しずつでも確実に形にしていこうと思ぇやす。
こぅやって書きながらね、まずは何事も心構えから。
こっちで知り合った日本人の人に教えてもらった事。
ほんとうに日本を離れてから日本を大切に思えるようになったことを有り難く思ぇやす。
あと最初に書いたチャクラの話とも少しつながりやすが、最近影と光を描くってのに挑戦してまた一つ何かを学んだ気がしやす。
これは場所環境関係ないので意欲があったら是非やってみてくだせぇ。
それはただキャンドルを描くってぇだけ。絵コンテ用なんかの鉛筆の芯だけの鉛筆なんかで。
影の美しさ 影を描く、それがこんなに心を落ち着けるもんだとぁ知りやせんでしたぃ。
黒と白だけなのに指先も使いながらあいた時間なんかに少しづつ。時間をかけるってのが大切な点でさぁ^^☆。


