日本の春休みみてぇなもんでさぁ。
タイトルに逆らって、本当にオイリュトミーについてのブログなのかと思われるほどEurythnmieについて書いてなかったので、ちょっといままでの報告も兼ねて9月の入学から半年、6ヶ月のことを振り返ってみようと思いやす。
このブログを見ている人なのでEurythmieを知っているという前提で
「Eurythmieって何?」ってこっちにいる日本人の人にもよく聞かれるので、その基本のEurythmie観を固めていこうと思ぇやす。
Eurythmieは手前の中では始めは、おそらくいろんな方の話を聞いて思い込んでいた節もあるんだろうけど何か”神聖な踊り”とういうイメージが強くあり、そうでないEurythmieの公演などを見ると「これはEurythmieじゃない」と思ってきやした。
しかし、ここで学校で毎日やりながら、学びながらさまざまな公演を観て、人と会話していく中でEurythmieが現代で果たせる意味を深く考えるようになりやした。
Eurythmie
まず、手前にとって現代で一番問題だと思っていた事は、手前が自然というものの中で生きているはずなのに、自然と全く離れた都会で土も買わなければ触れない土地で心の闇に飲み込まれそうになったこと。
☆自然と心と身体を繋げる
△考えと感情と肉体を繋げる
□神と心の空間と神聖な神殿としての身体を繋げる
シュタイナー用語で言うとGeistとSeeleとLeibを繋げること。

それがオイリュトミーの基本原則になりやす。
そしてそれを空間の中で他の人達と繋げやす。
☆は自然相手に仕事する人、△は舞台・演劇、□は教会・寺なんかで行われていることだと思ぇやす。
この3つの方向で人の倫理とモラルを培っていくことは生きていく上で最も大切な事だと思ぇやす。
ただ、単純に生きるという意味で。
全ては生きると同時に死、終わりの点からの力も働いていやす。
モラル、倫理が壊れて静けさが失われていく都会の中で育った手前が今、その反対の方向へ進んでいやす。そしてそういう事をしている人がどんどん増えていると思ぇやす。
自らの意思だけで、大きな仕事を成し遂げることはとても一人では難しく、一生を掛けても成し遂げられなかった方々が歴史の中にはたくさんいらっしゃいやすが、大きな流れの中で、自分が進みたいと思う同じ方向の大きな流れの中で自分の役割を果たす事。そうしたら少しぁ何か自分がやりたかった事が出来るかもしれやせん^^。そんなことを最近感じやす。
全ての可能性を受け入れて、自分のやるべき事をやって日本での活動、もしくはそれに従事出来るような活動方針を基にいまからやっていこうと思ぇやす。
自然を見ていると、本当にそれを心から思い知らされやす。



自然界では何が起ころうと、どんな例外が起ころうと彼らはそれを受け入れ、産まれたものを拒絶することなく、彼らは当たり前のようにそれを受け入れ、生きさせてくれやす。
そんな心をEurythmieを通して学んでいけたらなぁと思ぇやす。

そして、それを少しでも多くの人に伝えられるように、精進致しやす。
今学期の反省文終わり!
オースターと日本の卒業式の雰囲気がなんとなく似てるなぁ、なんてことを思ぅ今日この頃。
来期も地味に!を目標に

Ostern。日本の桜散る真っ白な淡い桜色を思い浮かべながら、また4月から新しく踏み出していきやす。
そんな風景が手前のカタルシスのような気もしやすねぇ。そんなことを深く考えたら少しは心が浄化されるかねぇ、どうだろうかねぇ。

練習中

休憩中♪

自然の中に観るオイリュトミー


