今回、シュタイナー学校教員養成コースでの音楽の授業は本当に実り多いものとなりやした。
Geistich!
なんだか、西洋史を音楽を通して、(楽譜を唄いながら、先生の指導法や展開を見ながら)西洋文化に知り合う事が出来たから。
音楽って本当に力として使わないと意味ねぇ。
そしてとても大きな力を持ってやす。
バッハ、ベートーヴェン、モーツァルト、ドビゥッシー、すばらしい音楽はたくさんあるけれど、その音楽の中に。
この音とこの音の間になにがあるのか。
この休符にある永遠みてぇな音。
そして音楽を始める前と終わった後の最も音楽的な瞬間





星の力なんかの空からの光によって、やわらかな粘土が形づくられるようにして出来た西洋の音楽。
それを体験させてくださったKern氏に心から感謝すると共にその場を作り出してくれたクラスみんなにも感謝してやす。
そして授業の最終日、その感じを掴ませてもらって、みんな西洋って感じのなか、
中国人の女の子が「でも、それの何処に音楽の自由があるの?」
との質問に
Kern氏は
「世代、次の世代と繋がっていく中でそれは作曲者の内側にあるんだ。理論はそれはそれとしてあるんだ、そうじゃないとそれは音楽じゃなくてただの雑音になってしまうでしょ?」
との回答に彼女なんだか納得いかねぇ。
それは西洋と東洋の文化の違いだからでもありやすからねぇ。
と言ってたら。
そんななか、ドイツ人の女の子が「んじゃぁそれってどういうこと?」ってなって
でも彼女は音楽苦手なので、話がそこで難航してしまったので、手前が島唄を唄いやした。
”桜”にしようか迷ったけど、その場の暖かい雰囲気にぁ沖縄音階の方があってるような気がして。
しかも、沖縄音階のあの打ち解けていく力ってのぁほんとうに音楽の力だとも思うから。
そして、終わってKern氏とすこし話しやした。
そこで、彼はとても残念がってやした。
「東洋の音楽のその常になにかを捜し求める音樂をいま君達は失っていってるよね。」
あぁ、ほんとね、手前自分の土地の5音階の唄なんて1つも知らねぇや。

「アジアの人達が私に西洋の音楽を教えて教えてと迫り寄ってくる事があるけど、そんなにすばらしい音楽を持っているあなた達に私が何を教えられるんだ。」
って言われて。まぁ、手前もこぅやって西洋の音楽に触れることで日本の音楽を
再確認出来たんですがね、、、、
その力を伝えていく事。
日本の音楽が無くなる。
ただ情報としての音楽になっちまう。
手前の命の証とも言える音楽。
文化を残していくってそういうことなんでさぁねぇ。
でも日本の文化は「水」
グラスに注げばグラスに、花瓶に注げば花瓶の形になる。
でもその形造る過程はGeistichな方向から
Seele
と
Leib
は日本の文化を血に覚えている。
そう信じてやす。
そぅ信じてやっていくしかねぇっすゃ。それが手前に与えられた課題なんだからねぇ。
ちょっとマニアックっぽいアントロポゾフィーな見解で申し訳ない。このへんはアントロを知らない人に分かりやすく説明できるように、また考えていきやす。
写真はいまレポートをやってるエリックサティくんが書いたお家の絵。

《Achilleis》von Goethe
Als sie aber den Ruecken
des wellenbespueleten Huegels
Bald rerichten und nun
des Meeres Weite sich auftat,
Blickte freundlich Eos
sie an aus der heiligen Fruehe
Fernem Nebelgewoelk
und jedem erquickte das Herz sie.
アキレス ゲーテより
背後に
波を感じる鳥たち
豊かとなり今
海に遠く広がっていく、
姿を現し喜ぶエオス(風の神)よ
聖なる朝のたもとに
遠くには霧曇
そして快さごとにあなたの心へ
テーマ:ほんのちょっとでも前進! - ジャンル:心と身体











