詳しく体験した内容を書いていけばきりがねぇですが、内容は体験した当人しか解らないもんだから、おぉこれは日本で今必要とされる事だろうなと感じた事について。
ここに来ている子達は若い。若いからこそいろいろ出来る。でもあまりにも時代にどっぷりと浸かり過ぎて自分が解らない。
Jugendseminarでの授業でもやりやしたが、今は光とされるものが正しいとされ過ぎているとのこと。ここで言う光というのはー金、地位、SEXーに代表されるもの。 でもそれと本当に対極をなして、まったく同じように闇も大切なんだという事を習いやした。
闇とは静寂、意思、生命に代表される形のはっきりしないもの。
虚勢や意地ではなく、本当に自分の考えや意思を理解し、知るため。自分というものを理解するために必ず必要なもの。
今回の聖堂地下での真っ暗な中でのコーラスや、それぞれが紙に向き合うスケッチ。そしてみんなで行動をともにするというなかで若者たちも身をもってそれを少し感じていた模様。 これは日本だけじゃなくて、いま全先進国に必要とされてる事のようでさぁねぇ。
んで日本のこととなると、日本人観光客がとても多かった。毎日毎日たくさんの日本人が来て手前らの横を通り過ぎて行きやした。
手前らが40分程みんなで意見や感じた事を言い合いながらみているステンドグラスや彫刻をデジタルカメラで撮って終わり。もうOK。
手前も以前だったらそうしていたかもしれねぇ。でも外国人たちと話しているとやっぱり恥ずかしい。観光、観光
分かってやす。説明なしで、聖書や実際の歴史を知らないで観るのはとても難しい。
時間がねぇのもわかりやす。でも、お願ぇですから少し挑戦。世界の遺産とされるものが後世になにを伝えようとしてくれているのか。
2つもある目の玉で。
先進国として十分発達してきた日本の、戦争によって貴重な文化を失ってしまった日本の次の課題。手前らの心ってほんとに植物のようにしか育たない。
結果が重視されるけど、今評価されている芸術も当時はだれも評価しなかったもの、ましてやお金なんてビタ一文ださなかったもんが億の値がついてる。
先週、noriさん宅におじゃまして現代芸術について話やした。過去の芸術と現代のモダンと呼ばれる芸術。違う課題を持っている。
昔はクラッシックがエンターテイメントで、芸術が日常だった。
広い目で。AdlerBlickー鷲の目(広い視点で観るたとえ)で見ることが日常的にできるようになったらいいなぁ。
こちらは、落ち葉が凍って月の静かな光できらきらと光る季節となりやした。
Jugendの今期卒業式も来週に迫ってきやした。
オイリュトメウムでの初めてのクリスマス。はぁこの実りを活かせるように毎日気を抜かねぇでぼちぼちやっていきやす






