Eurythmieオイリュトミー

StuttgartのEurythmeumに行き初めやした!オイリュトミーとアントロポゾフィーについてシュトゥットゥガルトオイリュトメウムでの学びを提示できたらいいなぁなどと目論んでおりやす。

前提(ジェンダー)

フランス・シャルトルから帰って来やした。
またユーゲントゼミナールで素敵な体験を沢山させてもらいやした。

でも前回のblog内容に習って、タイトルだけ書いてた先週のことを。
格好つけることをやめる決心をしたので、こんな書き方もいいかなぁなんて思いやしてね。


自分のなかでちゃんと内容が消化できるまで待ってあげること。


え〜、シャルトルに行く前の週、jugendseminarでのアトリエでの話。
Anna(イタリア人とドイツ人のハーフの子)とnoriとの話で、Annaが「買い物に行くけど広告ばかりで何を買ったらいいかわからない」とのコメントにnori(jugendseminarの手前の先輩)のおもしろい突っ込み。「広告からもCMからも信じられないくらいの前提を強制されている
そしてそれはジェンダーの問題とも関係している。」とのこと。

何気ない話でもちゃんと考えて話せばなかなか深い内容になるもの

細かく言えば男はこの色とか女はこんな色とか、こんな外見だから、何人だから。本当はそんな決まりなんてない。だけど生活していく上じゃ”人からどう見られようがどうだっていい”って姿勢じゃうまかねぇ時だって沢山ある。

それでも心のどっかに「自分はこう思う」とか「自分はこうありたいからこうしてる」っていうのを持ってるのともってないのじゃ大きな違い

もしくは自分の目標に出来るような人がいたら、その人の事を思い浮かべるとか、自分の過去を見つめるとか、あのときあの人が言ってくれた言葉やその時を想うってのも上記のための具体的な1つの良い方法だと思ぇやすねぇ。

んでジェンダーってのは心理学用語で、ご存知の方ももう増えてきてると思ぇやすが、心の性別みてぇなもん。
それは実際の性別とは関係の無いものというもの。そのことを今日考えてたら★ばってん荒川★という福岡の芸人さんを思い出しやした。

いけねぇいけねぇ話が反れちまぅ。

そうやって意識しないうちに沢山の前提に縛られている、という話。

以前だったら手前もただ「そうかぁ」って思うだけだったけど、jugendseminarやドイツの生活で自分で考える事を訓えて貰っているからいまはそれを「どうやって変えていけるんだろう」

って考え方になりやす。

なぜ?ではなく、どうやって?を考えるのがシュタイナー教育だとシュタイナー学校卒業生も言ってやした。
どうやって


うーn。自分のことを良く知って、自分に正直にいること?
なかなかどうして一人では難しいことだから、やっぱり人との関わりの中で見つけていくもんだぁ。
そういう意味でもここJugendseminarでの男女交えての生活は本当に為になってやす。
女性と男性それぞれに持っている心と身体の傾向。
そしてその性別を抜きにした時に見えるその人物の持っている感性や立ち振る舞い、視点や生活のリズム。

共同体って言ったら変に受け取る人もいるかもしれやせんが、人の近い関わりってのは本当に人を動かしてくれやす。も、身体も。


シャルトルでの貴重な体験はまた次のblogで書いていこうと思ぇやす。


写真はシャルトル行きの途中に拠った教会の天井の写真。天井のアーチ型は人のDenken(考える)やGeistの繋がりを現したもんだそうでさぁ。




教会の天井1

教会の天井2

シャルトル行き前に拠った教会

wiederhoeren(繰り返し聞く)

教育について?になると思ぇやすが、手前はオイリュトメウムの学生
とは言っても去年くらいからオイリュトメウムとLehrerseminar(ヴァルドルフ教員養成学校)が一緒になって、
オイリュトミーだけではなく、シュタイナー教育についても学ぶ形になりやした。

手前はオイリュトメウムに入る前JugendseminarStuttgartという所でいろんな国の
人達と共同生活をしながら、人智学(Antroposophie)を学んでいたんですがね、
その時にも一貫して行われていたのがWiederhoeren.
繰り返し聞くことと訳せやすが、前の時にやった内容を要約して繰り返して言う。
というもので、生徒側からの発言になりやす。


手前は一度読んだ本を繰り返し読む人ってのも以前は理解出来なかったし、映画とかもそぅ。一度やったものは覚えているだろうと思っていたすがねぇ。

 思ってる以上に人間の身体ってのはいつまでたっても完璧じゃぁねぇ。

今でもそういう傾向はありやすが自然に限っては繰り返し観察することがいかに大事か、こっちに来てからいろんな人に教えてもれぇやした。

 特に身体を使うことをあまりしないでも生活できるようになってるからねぃ。別にそれが悪ぃことなんてこれっぽっちもっていったら嘘になりやすが、思っちゃいやせんがね。自覚すること(Bewustsein)。が大切だと授業でもよく出てくる言葉なんでさぁ。

 



繰り返し。

今でもその傾向はありやすが、手前は前まで一回読んだ本を何回も読む人というのが理解出来なかった。
それと同じ事で一回体験したことも、自ら繰り返してするということもしなかった。

みんな理想はあるし、現実はいつもその理想に一致してくれない。
真っ直ぐきれいな歪みのない円をフリーハンドで書くのってなかなかうまくいかねぇみてぇにねぇ。

それでも、繰り返し繰り返しやってたら、だんだんきれいな円に近づいてくるもんじゃぁねぇのかなぁ。


R・シュタイナーさんは人には12の感覚があるっていってたけどねぇ、きっと一つのことも、その12の方法で、またいろんな方向からみることができるんだと思ぇやすょ。

nippon

外に出てはじめて解ることって沢山ある。
「切り結ぶ袂のもとでしかわからぬこともある」だったかな?侍の武の心得の話。
オイリュトミスト予備軍として今回は語学のことについてひとつ。

ドイツ語は相変わらず難しいわけですがね、語学を学ぶ上でその言葉の根元というか出来方を知るってのはとても大事。

☆アジアの言葉は象形文字から⇒文字、書くことから生まれた文化。

☆ラテン語を元に持つ言語やアルファベットを使う文化を持つ国々⇒聴くことから生まれた文化。


そういう違いってみんなさらっと言ってそんなに大切じゃないように言うけどとても大切なこと。


んで、みなさんにぜひぜひお勧めしたいのが外国語を学ぶってこと
日本語とは頭の違う部分を考えるからいつもと違った見方も出来るようになるし脳みそもやらかくなる

オイリュトミストとして;
聴く行為というのは光(頭の後ろの空間を使うってこと)を感じるってこと、もしくは光の中に身を置くってこと、そうやって考える考え方は日本語とは違った意味を持ってくる。

書く行為というのは闇とはいはないけど、もっと内面内側を感じるってこと。

教員養成のコースの授業で考えるってことについて、よく言われるけど考えるって行為も、一つではない。と思ぅんでさぁょ

Eurythmieオイリュトミーってそもそも?

ひとまずオイリュトミーを知っている方対象のblogにしていやすが、オイリュトミーをもっとたくさんの方に知ってもらいたいので、今回はオイリュトミーって?って言う項目で書いてみようと思ぇやす。

ずっとオイリュトミーをやっていると言う人でも、言葉でみんなに理解できるように説明するのはなかなか難しいもの。
いろんなところで難解な説明はされているので、手前方は芸術家として、いち24才の男性としてのオイリュトミー観を書いていこうと思ぇやす。

まぁ、前提にオイリュトミーはルドルフシュタイナーさんと言う方が提唱した動き。

と言うのがありやして、

もっと具体的に、オイリュトミーがどんな事をしながら、やっている人にどんな働きかけをするのかと言いやすと

1、ToneEurythmie(音オイリュトミー)

主にフォルム(線描)を動いたり、前後左右上下の空間を意識する練習をしておりやす。
また、クラッシックの曲をよく用いるのは、クラッシックの曲が音楽律とされる規律、調和に対して強い意識を持っているからだと思われやす。オイリュトミー自体が体を調律していく作業だと言ってもいいかもしれやせんからね。
 えーとまた説明として、フォルメン(線描)とは、線で書く図形のこと。
なかなかやらないと解らないのですが、この線、図形の動きを実際に体で感じる、動くという行為は自分が強く意識しながらやらないと出来ないもので、また実際にその図形が人それぞれにとって、苦手なものを教えてくれやす。ある意味日本の弓道、茶道なんかの意識と似たもの。
 日本の道は無を前提に、西洋の道は感覚を前提にって感じですかぃねぇ。


2、LautEurythmie(言語オイリュトミー)

主に言葉について、前後左右上下の空間を意識しながら言葉、詩を使ってその響きに含まれる印象の中に動いていく、ちょっと解りにくいっすねぇ。うーん。まぁでもどの言語にもあると思われる。A,E,I,O,Uの言葉を中心にこれはまた、音オイリュトミーよりも自分の体に自分で触れることが多くなりやす。
そして、同じ言葉の印象の中でも一定の決まりを保ったまま まだよく解ってねぇです。
まぁその決まった形っていうのは咽の頚骨の動きと形だそうです。
つまり咽の中で起こってる動きを体全体でするってことで。

3、HeilEurythmie(治療オイリュトミー)

まだ習っていやせん。受けている人たちを見るとLautEurythmieをその動きを特に気をつけながら、それぞれの人に合った練習と動きを処方するってものみたい。
あとは心臓の動きをコントロールして体全体を治療するというものらしぃ。
人の心臓は普段毎分60回うってるんじゃなくて、だいたい何か作業をしているときで90回くらいだと言われておりやす。
それを治療、心地よいと感じる心拍数毎分72回になるようにゆっくりと体を動かしていく。というのが理論らしぃっす。

4、その他FalbeEurythmie(色彩オイリュトミー)

まだちゃんと観たり受けたことはありやせんが、色彩によってLautEurytmie(言語オイリュトミー)のようにある形があって、色の明るさや暗さによって空間を動く?って聞きやした。定かではありやせん。

などなどがありやす。また個人個人オイリュトミーを指導する人によっても重点を置かれる場所が違いやす。

でも、オイリュトミーにおける基本原則として、前後左右の空間(自分の体の外と中)をいかに意識するか、ということと、忘れられがちなのが、オイリュトミーは調和のためのものだということ、よくオイリュトミーをやっていると「じゃぁここはこうしないといけないんですね?」という質問が出るけど、オイリュトミーはその場にいる人たちといかに動きをともにしていくか、ということから生まれてくるものを育てていくもんなんです。
だから正しい確固とした決まりなんてのはいってしまえばないんです。
 その時その瞬間で自分が調和していないなと感じたら、それを自分でちゃんと認めて(自分が必ず正しいんだなんてことは有り得ない)それをその場にいる人とひとつの形にしていく作業なんでさぁ。

足のつま先から手の先頭の先までを使って(意識して)(決して余計な力を入れるということではありやせん)自我を育てていく作業がオイリュトミーの柱としてあると思われやす。


自我って言葉もまた使い古されて、よく判らなくなっているかもしれやせんが、それは自由を手に入れるってことなんでさぁ。
自分を自由に出すことが出来ること。

またオイリュトミーの特異な作業として、動き、空間に{hell(明るさ)外面}を感じる{dunkel(暗さ)内面}を感じる・後ろの空間を常に感じる(足で空間を聴く)・自由を自分の中に持つ(これはほかの人生修養にもあてはまるかも)がありやす。

写真は今勉強しているシュトゥットゥガルトオイリュトメウムのホールでぇ。

StuttgartEurythmeumSaal

静かな心

秋になり日が出ているときでも冷え込むようになってきやした。

人は不安になるとやることを探してしまうけれど、
自分の心が望んでやることじゃないと、きちんと栄養になって消化出来ないまま日々ただ現実味の無いまま根を張らずに過ぎていってしまいやす。

この夏のUehlingenでの農場体験で得た静かな心を忘れないように、ちょっと都会でもできる静かな心の見つけ方を探しておりやす。

都会に生活しているとついつい見栄とか損得とかに振り回されて、自分が見えなくなってしまいそうになるから
別に気にしなくていいのかもしれないけれど、人の目って気になってしまいやすよね。

でも自分の内面を動かす作業が、心を落ち着けてくれる。
自分と向き合うことだから。

1、植物を育てる。
2、詩を書く。
3、楽器を練習する。(楽譜あり、出来たらクラッシックの曲で。音楽の規律をも教えてくれる)(楽譜なしルールあり、リズムの変化、一定のリズムをコントロールしながら軽く作曲のような作業をする)
4、絵を描く。
5、フォルメン線描を描く。
6、オイリュトミー。
7、パンを焼く


誰かに虚勢を張ることなく、こんなことをやっていたら、自分のことをもっとよく知れる気がする。
そしたら、寂しく感じる都会の中でも人とも物事ともきちんと向き合えるのかな。

そういえばドイツに来て思うけど、蒔きで起こした火の暖かさって格別!
その焔を観ているととても落ち着く。

時間をかけて自分の内面を動かす作業って、やることに溺れてる生活の中じゃほんと難しいけど、意識することが大事なんだってよ。

いけねぇいけねぇ、ついつぃ江戸っ子の心意気を忘れるところだった。

まぁ、秋はまた特別時間を感じさせてくれる時期だからねぇ
他が為に鳴る鐘の音を聴きながら、自分と向き合うのもいいじゃねぇかぃ?

ちなみに写真はオイリュトメウムのホールのガラスで、歯ブラシで描かれたものらしい。きっとこれやってた人も静かな心?
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Marcoとのおしゃべり

いま、Stuttgartのユーゲントゼミナールと言う所に住んでいやす。

いまはもう、オイリュトメウムにいき始めて、ユーゲントゼミナールの生徒ではないので、本当のところ手前はここに住むことは許されないんですが、空いている部屋があることと、ここの管理者のご好意により新しい家が見つかるまで住ませてもらっていやす。

 いままで一度も自分の生活のことをきちんと自分で把握しながら生活したことがなかったので、人が1人生活するにはこれだけお金がかかるんだと言うことが、なんとなく分かって来ていやす。

 まぇ家族からそういわれてもただ手前にとっては脅迫以外の何者でもなかったけど、実際こうやって生活していると、こうやってお金って言うものは世の中を回ってるんだと実感できて、なんだか地に足が着く心地でさぁ。


あぁそれとタイトルの話は、えーっと
そのここの管理者のマルコくんと言うのがですね。
みんなから胆汁質と言われている方でして。
自分の父親のように、(というか手前の父はあれこれ細かく手前に指図する人間ではないので世間一般的に言う)手前が将来何をどういう風にやって行くのか。
将来どうやって生きていくつもりなのかを、話したいとのこと。

いままで、あんまりおしゃべりって好きではなかった。だって話したって本当に解り合える事なんて無いんだって決めてたから。

でも思い込みや、固まった考え方って本当に生きていくのを大変にする。生き難い世の中を自分で作っちゃう。それってほんとに辛い事。


ここユーゲントゼミナールで生活して、おしゃべりがただの時間の無駄じゃないって思える。おしゃべりすることで通い合う言葉以外のものってたくさんあるし、そうやって意思を伝え合いながら、分かり合えないもの同士だとわかってても、そう努力していこうとするのがアントロポゾフィーってやつなんだと思う。

まぁ手前は別に、アントロポゾフィーだろうがなんだろうが別にそんな名前なんてもんはどうでもいいけどね

テーマ:自己探求 - ジャンル:心と身体