Eurythmieオイリュトミー

StuttgartのEurythmeumに行き初めやした!オイリュトミーとアントロポゾフィーについてシュトゥットゥガルトオイリュトメウムでの学びを提示できたらいいなぁなどと目論んでおりやす。

オイリュトミーでの弊害

いま、手前達のオイリュトミーグループはとても動いてやす。ぴよぴよ

どう動いているかと言うと、、

・4月の途中からオイリュトミーシュライアーEurythmieSchreierを着けてオイリュトミーが出来るようになった♪ーーー
と思ったら生徒間でいろいろと問題が起こる。
1人は夢の中にシュライアーが出て来て眠れない
っていう。
1人は初めての授業の数日経ってアルファベットの「W」の練習をした夜
ベットに横になったら船に乗ってるような感覚になって困った。
と言う風に普段意識できていない感覚のところにみんなそれぞれにいろいろと出てきてしまって週に3回にしよう。
となりやした。


・始まってから半年、1人が妊娠してしまって学ぶのをひとまず断念、1人が精神的な問題で療養へ、
 新しい女の子生徒が途中から入る。そして今、21歳の男の子が本当にオイリュトミーを続けるか考え中。
(講師との問題と家族との問題で)そんな動きのなかでなかなかグループ自体がしっかりと落ち着いていない感じ。


・講師と生徒間での世代価値観の違いから生徒の一人が「この講師だったら私は続けられない。」
「私はオイリュトミーのこの学校の為に、頑張って働いている。4年後にはそれを世界に広げたいと思っている。」
「私はあの講師のような先生にはなりたくないし、講師と個人的に話しても彼女は理解してくれない。」
その講師との間では他の生徒も問題があると感じる生徒と指示する生徒に別れていて
この問題から話し合いになり学校長が明日からの2週間のpfingsten ferien(キリスト教の聖霊降臨祭のお休み)の間に
講師の間で話してみるとのこと。




でも、みんな本当に真面目にオイリュトミーのことを自分の事としてだけじゃなく自分の活動する目的を踏まえて真剣に
取り組んでいやす。このグループのみんなと一緒にオイリュトミーを出来る事を本当に有難ぇと思ぇやす。


 オイリュトミーは目に見える歌(目に見える音と言葉。)
だからコーラスの先生と一緒。
先生それぞれに自分のやり方があるし、これが私のオイリュトミーって答えもそれぞれ異なってやす。
ましてや日本となると、言葉も違う、アルファベットじゃないから、、、それも手前の課題でさぁ^^;
クラッシックでやるか日本にある民族の5音階ペンタトニックでやるかも、まだ模索中>*<。

あ〜、でもオイリュトミーは生きてるから。
特に毎年1年生の間は動きが多いとのこと。
生きているってことは止まってないってこと、生きてるってことは悲しみも喜びもあるってこと。
生きてるってことは世界と感じ合うってこと。

そんな生を実感する毎日ってのもいいもんでさぁ。
まぁ、11,2歳から21過ぎまで理解してもらえないって思って閉ざしてた心が少しずつほどけていく心持ちでさぁ。
今25歳ようやく廻り始めた第2の人生。
オイリュトミーそして、新しく知り合う自分。

今週はバイオグラフィーのレポート&発表でしたぃ。手前はエリック・サティさんをやりやした。
音楽の感性がまた一つ刺激されやした。
今日は最終日に発表があった、詩人クリスチャンモーゲンスターの詩と舞踏家ニジンスキーの日記から。

Die Sterne leuchten ganzen Noten.
Der Himmel die Partitur.
Der Mensch das Instrument.
星はすべての音となり輝く。
空は楽譜。
人それは楽器。
Christian Morgenstern

Was ich erlebt habe,waren Leuter schrecklich Dinge.
Ich habe Angst vor den Leuten,weil sie mich nicht
fuelen,sondern verstehen.
Ich habe Angst vor dein Leuten,weil sie wollen,doch ich das gleiche Leben fuehlen wie sie.

Ich liebe das Leben.
私が何てひどい事を人々から経験したか。
私は人々の前にいるのが怖い、彼等が私を感じてくれないからじゃなく彼等が私を理解しないから。
私は人々の前が怖い、だって彼等が彼等と同じように生きることを感じる事を私に望むから。

私は人生を愛している。
Waslaw Nijinsky

テーマ:ほんのちょっとでも前進! - ジャンル:心と身体

新しい段階へ。

オースター(復活祭)休暇が終わって3期目が始まりやした♪

そしてオイリュトミーもシュタイナー学校の教員養成コースの授業も新しい段階へ〜〜〜〜〜


というのもなんだかとても不思議な感じ。
なんだかどんどん深まっていく感じ。
始めは音楽の授業でPrimとかSekunde(1度、2度の音)って聞いてもなんでそんなわざわざ特別な名前つけんの???

って良く意味も分からずに眺めて聞いていたけど、意味はちゃんとありやした。
名前の一つ一つに独立した気分と雰囲気があるから。

そんな気分とか雰囲気って。ってーーーーーー ・へへへ・ 

って侮るなかれぃ
ギリシャを代表される地動説の時代の感じるって言う行為はとても深くてはっきりしてんでさぁこれがまた。

こっちでこうやって集中的に勉強するまでぁ、感じるって行為は感性として産まれながらにして備わってて変えられないもんだと思ってたけど、そいつぁ間違いでしたぃ。感じるって行為を学ぶ、ってなんだか人生観を変えるもんになってやす。
感度は変えられねぇかもしんねぇけど、感じ方ってのぁ学ぶとその世界を大きく広げてくれやした。まだまだ途中、終わりなんてないんでしょうがねぇ。
でも、そう思うだけでわくわくしてきやせんかぃ?
自分の好きな事に終わりが無い。ぅぅっぞくぞくしやさぁ。(*^^*/

そしてオイリュトミーでも次のステップ・・リズム・・が加わってきて、またひとつオイリュトミーの秘密が明かされていきやす。
オイリュトミーでやる詩と音楽の中にリズムの要素を明確にしていくというもの。それも上半身と下半身別々で。

短短長 ・ ・ ー Anapest
長長短 ーー ・ Daktylos
長短   ー ・  Trochaeus
短長短 ・ー ・  Amphibrachis

てなもんがあと15個程?決められていて、それにも音楽の1度、2度のPrim、Sekundeと同様にひとつひとつに気分と雰囲気があるよう。

もちろん、音楽のメロディーの中でのことなのでこのリズムがこれ。この音の度がこの気分ってこたぁいえやせんが、繰り返しの中でそれは産まれてきやす。

その感じが診えてきたら音楽や詩が生命を持ってきやす。


はぁ〜、まぁでもね、理解するってことと出来るようになるってのぁ別のこと。
一年生を半分終えて、示されたまた長い永い道のり ☆(⊇・・⊆)


さぁ、オイリュトミーの目標である≪心臓を運動に使う筋肉のように、自分の意志で動かせるようになる≫日は来るんだろうかぃねぇ+_+)
こういうと特別な事に聞こえるけど、きっと古武道の達人なんかきっと出来た人いると思ぇやす。
それが治療にも繋がるということで、なんとかマスターして日本の精神の病に悩む人なんかに伝えて活かしてぇもんなんですがねぇ。



古い文化は今に活かしてなんぼのもんじゃあねぇですかぃねぇ。




あぁ、春。


小鳥達が盛んに鳴いておりやす。


日の光が軟らかく眠りを誘いやす。
あぁ
ちなみに今週のSeelen Kalender (魂のこよみ)Dr.Steiner

Im Äusere des Sinnesalls
Verliert Gedankenmacht ihr Eigensein;
Es finden Geisteswelten
Der Menschensprossen wieder.
Der seinen Keim in ihnen,
Doch seine Seelenfrucht
In sich muss finden.

外の形となる感覚の中に
思考の力が自身を失う時;
世界を見つけ出す
人の萌芽は再び。
あなたの中にそれ自身の胚珠を、
その魂の果実こそに
その中に見つけ出さなければならない。

あ〜ドンドン


そぅ!!魂の果実にね、そぅね。はいその胚珠の中にね。
そぅ、こうやってー豆を半分に割ってー。
胚珠胚珠〜。ちっちゃ!
んでそのまた中にかぁ〜。
イチゴの胚珠とか桃の胚珠はどんなんやろかぁ。

ってかイチゴの粒粒って種??何?胚珠ってどこやろ?
調べてみよ。
Park3

自然の中に見るオイリュトミーとその役目

Osterferien(キリスト教の復活祭)でお休み中。
日本の春休みみてぇなもんでさぁ。

タイトルに逆らって、本当にオイリュトミーについてのブログなのかと思われるほどEurythnmieについて書いてなかったので、ちょっといままでの報告も兼ねて9月の入学から半年、6ヶ月のことを振り返ってみようと思いやす。

 このブログを見ている人なのでEurythmieを知っているという前提で
「Eurythmieって何?」ってこっちにいる日本人の人にもよく聞かれるので、その基本のEurythmie観を固めていこうと思ぇやす。

Eurythmieは手前の中では始めは、おそらくいろんな方の話を聞いて思い込んでいた節もあるんだろうけど何か”神聖な踊り”とういうイメージが強くあり、そうでないEurythmieの公演などを見ると「これはEurythmieじゃない」と思ってきやした。
しかし、ここで学校で毎日やりながら、学びながらさまざまな公演を観て、人と会話していく中でEurythmieが現代で果たせる意味を深く考えるようになりやした。

Eurythmie

まず、手前にとって現代で一番問題だと思っていた事は、手前が自然というものの中で生きているはずなのに、自然と全く離れた都会で土も買わなければ触れない土地で心の闇に飲み込まれそうになったこと。


☆自然と心と身体を繋げる

△考えと感情と肉体を繋げる

□神と心の空間と神聖な神殿としての身体を繋げる



シュタイナー用語で言うとGeistとSeeleとLeibを繋げること。
2lemniskart

それがオイリュトミーの基本原則になりやす。
そしてそれを空間の中で他の人達と繋げやす。
☆は自然相手に仕事する人、△は舞台・演劇、□は教会・寺なんかで行われていることだと思ぇやす。
この3つの方向で人の倫理とモラルを培っていくことは生きていく上で最も大切な事だと思ぇやす。
ただ、単純に生きるという意味で。


全ては生きると同時に死、終わりの点からの力も働いていやす。
モラル、倫理が壊れて静けさが失われていく都会の中で育った手前が今、その反対の方向へ進んでいやす。そしてそういう事をしている人がどんどん増えていると思ぇやす。

自らの意思だけで、大きな仕事を成し遂げることはとても一人では難しく、一生を掛けても成し遂げられなかった方々が歴史の中にはたくさんいらっしゃいやすが、大きな流れの中で、自分が進みたいと思う同じ方向の大きな流れの中で自分の役割を果たす事。そうしたら少しぁ何か自分がやりたかった事が出来るかもしれやせん^^。そんなことを最近感じやす。

全ての可能性を受け入れて、自分のやるべき事をやって日本での活動、もしくはそれに従事出来るような活動方針を基にいまからやっていこうと思ぇやす。

自然を見ていると、本当にそれを心から思い知らされやす。
自然界では何が起ころうと、どんな例外が起ころうと彼らはそれを受け入れ、産まれたものを拒絶することなく、彼らは当たり前のようにそれを受け入れ、生きさせてくれやす。

そんな心をEurythmieを通して学んでいけたらなぁと思ぇやす。
そして、それを少しでも多くの人に伝えられるように、精進致しやす。
今学期の反省文終わり!


オースターと日本の卒業式の雰囲気がなんとなく似てるなぁ、なんてことを思ぅ今日この頃。
来期も地味に!を目標に


Ostern。日本の桜散る真っ白な淡い桜色を思い浮かべながら、また4月から新しく踏み出していきやす。
そんな風景が手前のカタルシスのような気もしやすねぇ。そんなことを深く考えたら少しは心が浄化されるかねぇ、どうだろうかねぇ。

練習中
練習中

休憩中♪
休憩中♪

naturEurythmie
自然の中に観るオイリュトミー

テーマ:自由への道程 - ジャンル:学問・文化・芸術

Eurythmieオイリュトミーってそもそも?

ひとまずオイリュトミーを知っている方対象のblogにしていやすが、オイリュトミーをもっとたくさんの方に知ってもらいたいので、今回はオイリュトミーって?って言う項目で書いてみようと思ぇやす。

ずっとオイリュトミーをやっていると言う人でも、言葉でみんなに理解できるように説明するのはなかなか難しいもの。
いろんなところで難解な説明はされているので、手前方は芸術家として、いち24才の男性としてのオイリュトミー観を書いていこうと思ぇやす。

まぁ、前提にオイリュトミーはルドルフシュタイナーさんと言う方が提唱した動き。

と言うのがありやして、

もっと具体的に、オイリュトミーがどんな事をしながら、やっている人にどんな働きかけをするのかと言いやすと

1、ToneEurythmie(音オイリュトミー)

主にフォルム(線描)を動いたり、前後左右上下の空間を意識する練習をしておりやす。
また、クラッシックの曲をよく用いるのは、クラッシックの曲が音楽律とされる規律、調和に対して強い意識を持っているからだと思われやす。オイリュトミー自体が体を調律していく作業だと言ってもいいかもしれやせんからね。
 えーとまた説明として、フォルメン(線描)とは、線で書く図形のこと。
なかなかやらないと解らないのですが、この線、図形の動きを実際に体で感じる、動くという行為は自分が強く意識しながらやらないと出来ないもので、また実際にその図形が人それぞれにとって、苦手なものを教えてくれやす。ある意味日本の弓道、茶道なんかの意識と似たもの。
 日本の道は無を前提に、西洋の道は感覚を前提にって感じですかぃねぇ。


2、LautEurythmie(言語オイリュトミー)

主に言葉について、前後左右上下の空間を意識しながら言葉、詩を使ってその響きに含まれる印象の中に動いていく、ちょっと解りにくいっすねぇ。うーん。まぁでもどの言語にもあると思われる。A,E,I,O,Uの言葉を中心にこれはまた、音オイリュトミーよりも自分の体に自分で触れることが多くなりやす。
そして、同じ言葉の印象の中でも一定の決まりを保ったまま まだよく解ってねぇです。
まぁその決まった形っていうのは咽の頚骨の動きと形だそうです。
つまり咽の中で起こってる動きを体全体でするってことで。

3、HeilEurythmie(治療オイリュトミー)

まだ習っていやせん。受けている人たちを見るとLautEurythmieをその動きを特に気をつけながら、それぞれの人に合った練習と動きを処方するってものみたい。
あとは心臓の動きをコントロールして体全体を治療するというものらしぃ。
人の心臓は普段毎分60回うってるんじゃなくて、だいたい何か作業をしているときで90回くらいだと言われておりやす。
それを治療、心地よいと感じる心拍数毎分72回になるようにゆっくりと体を動かしていく。というのが理論らしぃっす。

4、その他FalbeEurythmie(色彩オイリュトミー)

まだちゃんと観たり受けたことはありやせんが、色彩によってLautEurytmie(言語オイリュトミー)のようにある形があって、色の明るさや暗さによって空間を動く?って聞きやした。定かではありやせん。

などなどがありやす。また個人個人オイリュトミーを指導する人によっても重点を置かれる場所が違いやす。

でも、オイリュトミーにおける基本原則として、前後左右の空間(自分の体の外と中)をいかに意識するか、ということと、忘れられがちなのが、オイリュトミーは調和のためのものだということ、よくオイリュトミーをやっていると「じゃぁここはこうしないといけないんですね?」という質問が出るけど、オイリュトミーはその場にいる人たちといかに動きをともにしていくか、ということから生まれてくるものを育てていくもんなんです。
だから正しい確固とした決まりなんてのはいってしまえばないんです。
 その時その瞬間で自分が調和していないなと感じたら、それを自分でちゃんと認めて(自分が必ず正しいんだなんてことは有り得ない)それをその場にいる人とひとつの形にしていく作業なんでさぁ。

足のつま先から手の先頭の先までを使って(意識して)(決して余計な力を入れるということではありやせん)自我を育てていく作業がオイリュトミーの柱としてあると思われやす。


自我って言葉もまた使い古されて、よく判らなくなっているかもしれやせんが、それは自由を手に入れるってことなんでさぁ。
自分を自由に出すことが出来ること。

またオイリュトミーの特異な作業として、動き、空間に{hell(明るさ)外面}を感じる{dunkel(暗さ)内面}を感じる・後ろの空間を常に感じる(足で空間を聴く)・自由を自分の中に持つ(これはほかの人生修養にもあてはまるかも)がありやす。

写真は今勉強しているシュトゥットゥガルトオイリュトメウムのホールでぇ。

StuttgartEurythmeumSaal

☆入学ありがとうございます☆

誰もお祝いしてくれないので、とりあえずは1人で密かに入学祝いしようと思ぇやす。
はぃ、ありがとうごぜぇやす

えぇ〜この度StuttgartEurythmeumに入学出来ることに相成りやしたことを、誠に、嬉しく思ぃやす。と言う事で、今の所既に1週間と2日が経っているのですがまぁ、始めの記事としてオイリュトミーについて。

先週はToneEurythmie(音)をやりやした。
基本の超簡単な動きだからといって疎かにはできやせん、シュタープを使った基本の動きをやり、今回はBaum(木)と言う言葉を言う時と、それぞれに出るままに出す時の声の違いをそれぞれで感じ合いやした。

興味深かったのはそれぞれ自分の音を出してと先生が言っているにもかかわらず声を出すときれいに響き合う音を探したり、同じ音の高さに揃えようとすること。

そっちの方が心地良いんでさぁねぇ、別に誰に言われるでもなくね^^

2週目は始まりやしたが、今週の授業の内容は次の記事で