第2部やてっ。
- 2010⁄04⁄29(木)
- 17:10
いやぁ?、もぅ一時はどうなることかと思いやしたが、今福岡に帰ってきて落ち着いておりやす。
帰らせてもらえる場所があるってぇのぁほんとありがたいことです。
さてさて、なにからどう説明したらいいやら、、
いろいろありやした、ほんといろいろ、まぁでも終わったと思っても続いて行くものなんだなぁと世界の偉大さと自分の小ささを改めて感じておりやす。
まぁなにはともあれ、前回幕引きのご挨拶させて頂きやした。
そしていまここここに新しい道への未知への精進が始まりやした。
これからはこのブログで手前がドイツとスイスで学んだ(学校だけではなく関わりあったすべての方々を通して)人生観と物の見方、生きる意味、愛について、文化、言葉、空間、人間について
日々のこのフリーターの暮らしを
御覧くだせぇ。
フリーターとか無職ってあぁなんだか自分が堕落気がしてちょっとマゾヒスティックな快楽を覚えやす。
でも、舞台の人間も物書きも普通の人はならないんでさぁ。
普通じゃないから面白いものが書ける。
自分の仕事を決めることについていろいろ言われておりやすが、正しい正解なんかないってぇことを、この学びの期間で身をもって教わりやした。
それではこれにて、第2幕の幕開けとさせて頂きやす。
どちらさまもそんなこと知ったことかとお思いでしょうが、この2010年4月の終わりの暖かい日差しと春一番の強い春風と冷え冷えと冷える夜中の、この狂った気候の中、
またこうやって生きていくすばらしさと、皆様に支えられて勇気を抱くことが出来たひとりの男がおりやすことを、ここに一つご報告いたしやして、幕開け第2幕のご挨拶とさせて頂きやす。
終わらせること、捨てること。本当に大切なことでごぜぇやす。
帰らせてもらえる場所があるってぇのぁほんとありがたいことです。
さてさて、なにからどう説明したらいいやら、、
いろいろありやした、ほんといろいろ、まぁでも終わったと思っても続いて行くものなんだなぁと世界の偉大さと自分の小ささを改めて感じておりやす。
まぁなにはともあれ、前回幕引きのご挨拶させて頂きやした。
そしていまここここに新しい道への未知への精進が始まりやした。
これからはこのブログで手前がドイツとスイスで学んだ(学校だけではなく関わりあったすべての方々を通して)人生観と物の見方、生きる意味、愛について、文化、言葉、空間、人間について
日々のこのフリーターの暮らしを
御覧くだせぇ。
フリーターとか無職ってあぁなんだか自分が堕落気がしてちょっとマゾヒスティックな快楽を覚えやす。
でも、舞台の人間も物書きも普通の人はならないんでさぁ。
普通じゃないから面白いものが書ける。
自分の仕事を決めることについていろいろ言われておりやすが、正しい正解なんかないってぇことを、この学びの期間で身をもって教わりやした。
それではこれにて、第2幕の幕開けとさせて頂きやす。
どちらさまもそんなこと知ったことかとお思いでしょうが、この2010年4月の終わりの暖かい日差しと春一番の強い春風と冷え冷えと冷える夜中の、この狂った気候の中、
またこうやって生きていくすばらしさと、皆様に支えられて勇気を抱くことが出来たひとりの男がおりやすことを、ここに一つご報告いたしやして、幕開け第2幕のご挨拶とさせて頂きやす。
終わらせること、捨てること。本当に大切なことでごぜぇやす。
- category
- 学校以外での学び
ひと区切り。日本に帰りやす。
- 2010⁄03⁄16(火)
- 18:51
長いことネットをしていなかった生活。
スイスのドルナッハに引っ越してきて、もう半年。
自分の中で大きな意味を持つオイリュトミー。
そのオイリュトミーの学生生活に今、自分で終止符を打ちやした。
3年半いろいろな方に応援していただいて本当にありがとうごぜぇやした。
最後までやり遂げられなかったことを悔しいと言えばそうだし、格好が悪いというのも本音ではありやす。
でも、なによりも手前はオイリュトミーを一生やり続けることには変わりのないことなので、それもまた人生といってしまえばそうなのかもしれやせん。
オイリュトミーでは基本的に始めの2年間で基礎を学び。
あとの2年間でそれを鍛えて自分で自由にしていくという過程に入りやす。
その3年目の自我を貫いていく過程で折れてしまいやした。
Stuttgartで始めの仲間達と続けていたらそれも乗り越えられたのかもしれやせん。
日本人とドイツ人の自我の違いなのかもしれやせん。
Stuttgartから去る時点で自分が間違った選択をしているのは判っておりやした。
それでもやらなければならなかったんでさぁ。
そしてこうやった形で終わっていくのは、自分の生きていく中での課題を、自分として立つということをまだ出来ていないからなんだと思ぇやす。
本当に、この3年半沢山のことを学ばせていただいた方々に深く々く感謝しておりやす。
27歳の年を迎えたいま、自分が学んできた。人を愛すること。というものを自分なりの形で
具体的にやっていけたらいいと思っておりやす。
いまは自分の特技であるマッサージを日本で始めながら、いままでさまざまな人々と学んだ音楽の天使達の響きと神聖なるものの響きというものを少しずつでも開拓していけたらと思っておりやす。
日本で学生が終わったらオイリュトミーワークショップを開いてくれとおっしゃっていた方々には本当に申し訳ない次第です。
教室を開くことは出来ませんが、いまなら少しはオイリュトミーについて解かる点もありやすし、一緒にオイリュトミーをするのは今でも大好きなので、是非機会を作って皆さんでオイリュトミーをやりやしょう。
こんな格好の悪い幕切れではごぜぇやすが、どうかこんな半逐な人間を笑ってやって下せぇ、どうか意気地の無い若いもんだと。 日本に帰ってからは福岡で親父と二人の生活が始まりやす。
親一人子一人。いままで大学の学費もこの海外留学の大半をも支えてくれた親父には本当に頭があがりやせん。
それでこんな終わり方になります。
親父も65歳の定年ですが、自営業末吉印刷で働いておりやす。そんな親父にいままで恥かしかったり怖かったりで出来なかった親孝行したいと思っておりやす。
いやぁ?、それにしてもキリストの十字はきついでさぁ、
人間誰しも産まれて課題を受けて生きていきやす。
その中でいろんな十字架に縛られて生きていきやす。
言葉や時間、音楽や倫理、人の繋がり、家族の血。
そんな中手前の中で鮮明に印象に残っているのぁ、日曜日の教会にステンドグラスから差し込む光に包まれた十字に貼り付けのキリストとそこでコーラスを歌っていた子供達の天使のような歌声でさぁ。小さいころから、仏教の幼稚園に行っていたせいなのか大きな違和感を感じやした。
そこには、大きな宗教観の違いがありやした。
いまなら、その違いも多少実感できるようになりやした。
今からの日本、世界がどう変わっていくかは解かりやせんが、オイリュトミーを通して実感した、世界を変えていくのは自分を変えていくことなんだという心を忘れずに、手前の大好きな日本を少しでも手前が死ぬまでに一人でも変えていきたいと思ぇやす。
ここで改めて思うのぁ、人はどうやって生きてたって真剣に生きていくもんだってことで。
馬鹿騒ぎしても人の道に外れても道楽しても塞ぎ込んでも、上っ面だけの生活に惑わされないで生きて生きたいと誓いたいでさぁ。
これからは光の当たる世界だけじゃなく影のものにもしっかりと目を凝らして、格好の悪い出来損ないの手前を、胸にふん縛って生きていきたいと思いやす。
応援してくださった方々、どうぞ若輩な手前をお許し下せぇ。3月2010年まだ微かに雪の残る春花の野に咲き始めるドルナッハ、スイスより。 hiro mixiよりくまたこと 末吉健洋(すえよしたけひろ)
スイスのドルナッハに引っ越してきて、もう半年。
自分の中で大きな意味を持つオイリュトミー。
そのオイリュトミーの学生生活に今、自分で終止符を打ちやした。
3年半いろいろな方に応援していただいて本当にありがとうごぜぇやした。
最後までやり遂げられなかったことを悔しいと言えばそうだし、格好が悪いというのも本音ではありやす。
でも、なによりも手前はオイリュトミーを一生やり続けることには変わりのないことなので、それもまた人生といってしまえばそうなのかもしれやせん。
オイリュトミーでは基本的に始めの2年間で基礎を学び。
あとの2年間でそれを鍛えて自分で自由にしていくという過程に入りやす。
その3年目の自我を貫いていく過程で折れてしまいやした。
Stuttgartで始めの仲間達と続けていたらそれも乗り越えられたのかもしれやせん。
日本人とドイツ人の自我の違いなのかもしれやせん。
Stuttgartから去る時点で自分が間違った選択をしているのは判っておりやした。
それでもやらなければならなかったんでさぁ。
そしてこうやった形で終わっていくのは、自分の生きていく中での課題を、自分として立つということをまだ出来ていないからなんだと思ぇやす。
本当に、この3年半沢山のことを学ばせていただいた方々に深く々く感謝しておりやす。
27歳の年を迎えたいま、自分が学んできた。人を愛すること。というものを自分なりの形で
具体的にやっていけたらいいと思っておりやす。
いまは自分の特技であるマッサージを日本で始めながら、いままでさまざまな人々と学んだ音楽の天使達の響きと神聖なるものの響きというものを少しずつでも開拓していけたらと思っておりやす。
日本で学生が終わったらオイリュトミーワークショップを開いてくれとおっしゃっていた方々には本当に申し訳ない次第です。
教室を開くことは出来ませんが、いまなら少しはオイリュトミーについて解かる点もありやすし、一緒にオイリュトミーをするのは今でも大好きなので、是非機会を作って皆さんでオイリュトミーをやりやしょう。
こんな格好の悪い幕切れではごぜぇやすが、どうかこんな半逐な人間を笑ってやって下せぇ、どうか意気地の無い若いもんだと。 日本に帰ってからは福岡で親父と二人の生活が始まりやす。
親一人子一人。いままで大学の学費もこの海外留学の大半をも支えてくれた親父には本当に頭があがりやせん。
それでこんな終わり方になります。
親父も65歳の定年ですが、自営業末吉印刷で働いておりやす。そんな親父にいままで恥かしかったり怖かったりで出来なかった親孝行したいと思っておりやす。
いやぁ?、それにしてもキリストの十字はきついでさぁ、
人間誰しも産まれて課題を受けて生きていきやす。
その中でいろんな十字架に縛られて生きていきやす。
言葉や時間、音楽や倫理、人の繋がり、家族の血。
そんな中手前の中で鮮明に印象に残っているのぁ、日曜日の教会にステンドグラスから差し込む光に包まれた十字に貼り付けのキリストとそこでコーラスを歌っていた子供達の天使のような歌声でさぁ。小さいころから、仏教の幼稚園に行っていたせいなのか大きな違和感を感じやした。
そこには、大きな宗教観の違いがありやした。
いまなら、その違いも多少実感できるようになりやした。
今からの日本、世界がどう変わっていくかは解かりやせんが、オイリュトミーを通して実感した、世界を変えていくのは自分を変えていくことなんだという心を忘れずに、手前の大好きな日本を少しでも手前が死ぬまでに一人でも変えていきたいと思ぇやす。
ここで改めて思うのぁ、人はどうやって生きてたって真剣に生きていくもんだってことで。
馬鹿騒ぎしても人の道に外れても道楽しても塞ぎ込んでも、上っ面だけの生活に惑わされないで生きて生きたいと誓いたいでさぁ。
これからは光の当たる世界だけじゃなく影のものにもしっかりと目を凝らして、格好の悪い出来損ないの手前を、胸にふん縛って生きていきたいと思いやす。
応援してくださった方々、どうぞ若輩な手前をお許し下せぇ。3月2010年まだ微かに雪の残る春花の野に咲き始めるドルナッハ、スイスより。 hiro mixiよりくまたこと 末吉健洋(すえよしたけひろ)
- category
- 学校以外での学び
聖霊降臨祭× 別れ× 生まれた国
- 2009⁄06⁄01(月)
- 00:30
ドイツでの生活も早3年。
オイリュトミー学校も2年目があと6週間で終わりやす。
自我の勉強。オイリュトミー、身体を通して学ぶアントロポゾフィー。
今までは公に言ったことはあまり無かったんですがぁ、手前は3年前福岡博多を出るとき、なんだか手前が生まれた国日本に愛想が吐いておりやした。日本の政治を筆頭に。
手前ももぅ子供じゃぁありやせん。否定することで物事が変わらないことも学びやした。
このオイリュトミーの学びのちょうど真ん中(時間的に)。
オイリュトミー
ー身体を通しての動き。動きを聴くということを学ぶ。
ー芸術としての側面を通しての内面、精神、心の学び
ー西洋と東洋の自我の性質の違い(外面から固める自我と内面から固めていく自我)
ー物質、エーテル、アストラル、自我と身体、心、Geistとフォーム、Raum(空間)、時間、のそれぞれの繋がり
ーエゴと自我、共有と馴れ合いの違い。
ー教育としてのオイリュトミーと芸術としてオイリュトミーの目指す場所。
そうしてようやっとのことで理解することが出来た。睡眠と目覚め、夢を見ながら目覚めているということの意味。はぁーーながかったーーー。
ほんとこの学び、、、、我慢と忍耐常に必要でさぁ、別に無理するこたぁないんですがぁねぇ。
こんな、霊的な学びとか、深めていってどうするんだろうかぃと手前自信にも問うんですがぁ、手前の心ぁ植物みてぇなもんで、どこに伸びるかぁ手前でも分かっちゃいねぇんですがぁ理屈道理に生きていけねぇみてぇで、、
家族にぁ安心してもらえなくって申し訳ねぇんですが、それでも今こうやって学んでいることにぁきっと意味があると思ってやっていきやす。
一度、二度死んだこのこころ。
一度は学校の死んだ教育とメディアから、二度目は他の人の死を通して。
心が死ぬことでしか命を続けていくことが出来なかったから、、生きた心のままじゃぁ辛過ぎて、怠け者で自分で殺したこの心を今ゆっくりとまた動かしていっているような気がしやす。
生きる意味やら生活やら
手前ぁオイリュトミストですからぁ、身体で考えていくことにしやさぁ。真実をみるってのぁ、一大事業かもしれやせん。
米 この夏に学校変えてスイスに移り住む予定でさぁ。
オイリュトミー学校も2年目があと6週間で終わりやす。
自我の勉強。オイリュトミー、身体を通して学ぶアントロポゾフィー。
今までは公に言ったことはあまり無かったんですがぁ、手前は3年前福岡博多を出るとき、なんだか手前が生まれた国日本に愛想が吐いておりやした。日本の政治を筆頭に。
手前ももぅ子供じゃぁありやせん。否定することで物事が変わらないことも学びやした。
このオイリュトミーの学びのちょうど真ん中(時間的に)。
オイリュトミー
ー身体を通しての動き。動きを聴くということを学ぶ。
ー芸術としての側面を通しての内面、精神、心の学び
ー西洋と東洋の自我の性質の違い(外面から固める自我と内面から固めていく自我)
ー物質、エーテル、アストラル、自我と身体、心、Geistとフォーム、Raum(空間)、時間、のそれぞれの繋がり
ーエゴと自我、共有と馴れ合いの違い。
ー教育としてのオイリュトミーと芸術としてオイリュトミーの目指す場所。
そうしてようやっとのことで理解することが出来た。睡眠と目覚め、夢を見ながら目覚めているということの意味。はぁーーながかったーーー。
ほんとこの学び、、、、我慢と忍耐常に必要でさぁ、別に無理するこたぁないんですがぁねぇ。
こんな、霊的な学びとか、深めていってどうするんだろうかぃと手前自信にも問うんですがぁ、手前の心ぁ植物みてぇなもんで、どこに伸びるかぁ手前でも分かっちゃいねぇんですがぁ理屈道理に生きていけねぇみてぇで、、
家族にぁ安心してもらえなくって申し訳ねぇんですが、それでも今こうやって学んでいることにぁきっと意味があると思ってやっていきやす。
一度、二度死んだこのこころ。
一度は学校の死んだ教育とメディアから、二度目は他の人の死を通して。
心が死ぬことでしか命を続けていくことが出来なかったから、、生きた心のままじゃぁ辛過ぎて、怠け者で自分で殺したこの心を今ゆっくりとまた動かしていっているような気がしやす。
生きる意味やら生活やら
手前ぁオイリュトミストですからぁ、身体で考えていくことにしやさぁ。真実をみるってのぁ、一大事業かもしれやせん。
米 この夏に学校変えてスイスに移り住む予定でさぁ。

- category
- 学校以外での学び
無いものねだり、ごまかし。
- 2008⁄12⁄09(火)
- 21:33
ただいま病気(風邪)の為、自宅療養中。
そして自分を振り返ってみると、自分の心を静める時間が足りなかったのかもなぁ、と反省。
同居人に話してみると、きっと心が休みたがってるのを無視して続けたからだと、、、、
女性は生理のときは痛くて寝る以外どうしようもない時もあるけど、それはきっとその痛みを通してじゃないと心を静められないから体が心の為にそうするんだと、、、、
はい、すいません。
自分自分に嘘ついてがんばりすぎたかもしれやせん。
そして体が弱ると、想いや考えも弱るもの。
今はヒーリングの音楽なんかを聴いて心を調節中。
昔の楽器で今は一般的じゃないものでも、響きの楽器ってやっぱり力があると思ぇやす。
クリスタルボウルやら仏壇のおりんやら、チェロとかコントラバスも空気を溶かして揺らしてくれるからなんだか風呂にでも入ってるような気持ちになりやす。
ドイツの今の安アパートはシャワーしかないし、隙間風も、、、、(きっと単純にそのせいで風邪引いたのもあると思ぇやす。)
そんな中、音と光ってのぁ時にまったくもって大きな力を感じさせるなぁ、なんてことを思っておりやす。
でもそうやってるのぁ、オイリュトミーから逃げてるだけなんですがね
たまにぁ逃げたり、思いっきり力抜くってのあ物事を深めていく上で一番大切なんじゃねぇかなぁ。
なんてことを考えさせられておりやす。
それにしても、そんな心の影響がいやおうなしに身体に出るオイリュトミー、、、、
つるかめつるかめ、、、、

そして自分を振り返ってみると、自分の心を静める時間が足りなかったのかもなぁ、と反省。
同居人に話してみると、きっと心が休みたがってるのを無視して続けたからだと、、、、
女性は生理のときは痛くて寝る以外どうしようもない時もあるけど、それはきっとその痛みを通してじゃないと心を静められないから体が心の為にそうするんだと、、、、
はい、すいません。

自分自分に嘘ついてがんばりすぎたかもしれやせん。
そして体が弱ると、想いや考えも弱るもの。
今はヒーリングの音楽なんかを聴いて心を調節中。
昔の楽器で今は一般的じゃないものでも、響きの楽器ってやっぱり力があると思ぇやす。
クリスタルボウルやら仏壇のおりんやら、チェロとかコントラバスも空気を溶かして揺らしてくれるからなんだか風呂にでも入ってるような気持ちになりやす。
ドイツの今の安アパートはシャワーしかないし、隙間風も、、、、(きっと単純にそのせいで風邪引いたのもあると思ぇやす。)
そんな中、音と光ってのぁ時にまったくもって大きな力を感じさせるなぁ、なんてことを思っておりやす。
でもそうやってるのぁ、オイリュトミーから逃げてるだけなんですがね
たまにぁ逃げたり、思いっきり力抜くってのあ物事を深めていく上で一番大切なんじゃねぇかなぁ。なんてことを考えさせられておりやす。

それにしても、そんな心の影響がいやおうなしに身体に出るオイリュトミー、、、、
つるかめつるかめ、、、、
- category
- Eurythmeum
我慢、、、
- 2008⁄12⁄03(水)
- 14:50
オイリュトミー2年生。
ようやく身体を響かせるということを意識できるようになってき始めた今日この頃、、、
嬉しい反面、一緒にオイリュトミーをやっている人の中で身体が響いていない人を感じるようになってきておぃおぃおぃ、、、、
それは、あたかもコーラスの中で音が、声が響きあっている中であたかもその人が音としての声ではなく、普段しゃべるような声で声を出している、、、、
それは感じられるようになると、とても滑稽に感じるけど、分からない人にとっては分からない、、、、、
そんな苦悩が始まっておりやす。
オイリュトミー学校の2年生ではよく病気の人が出るというけど、それが分かれ目のような時期なんだと思ぇやす。
オイリュトミー、、、、
あいかわらず奥が深いでさぁ、、、、
自分の音を保つこと、、
それでもハーモニーの中に居るということ、、、、
それにしても響きあう空間の中で自分を保つことがこんなにもむずかしぃとは、、、、
キチンと自分のパートを淀みなく唄うこと、
オイリュトミーという動きを通して、、、
即興を得意分野とする手前としては苦手な分野でして、毎日楽譜やらともにやるメンバーと時間をかけて繰り返しやっていくしかないことなんでしょうねぃ、 いやぁー 自由になるために迷い無く感じる、自分の中の自我を鍛えて鍛えて、、、むんむんむん
すべてはプロセスの中で時間をかけて作り上げていくもの、、、
理屈じゃわかってるけど、まぁ 息抜きしながら やっていきやしょうかぃねぇ。
すぐ真面目になりすぎるのは手前の日本人の血のわるいとこ、、、
日本人として遊び心、間 の血も忘れずに、、、 こんなときこそゴールを見失わないようにしなくちゃあいけねぇ

ようやく身体を響かせるということを意識できるようになってき始めた今日この頃、、、
嬉しい反面、一緒にオイリュトミーをやっている人の中で身体が響いていない人を感じるようになってきておぃおぃおぃ、、、、
それは、あたかもコーラスの中で音が、声が響きあっている中であたかもその人が音としての声ではなく、普段しゃべるような声で声を出している、、、、
それは感じられるようになると、とても滑稽に感じるけど、分からない人にとっては分からない、、、、、
そんな苦悩が始まっておりやす。
オイリュトミー学校の2年生ではよく病気の人が出るというけど、それが分かれ目のような時期なんだと思ぇやす。
オイリュトミー、、、、
あいかわらず奥が深いでさぁ、、、、
自分の音を保つこと、、
それでもハーモニーの中に居るということ、、、、
それにしても響きあう空間の中で自分を保つことがこんなにもむずかしぃとは、、、、
キチンと自分のパートを淀みなく唄うこと、
オイリュトミーという動きを通して、、、
即興を得意分野とする手前としては苦手な分野でして、毎日楽譜やらともにやるメンバーと時間をかけて繰り返しやっていくしかないことなんでしょうねぃ、 いやぁー 自由になるために迷い無く感じる、自分の中の自我を鍛えて鍛えて、、、むんむんむん
すべてはプロセスの中で時間をかけて作り上げていくもの、、、
理屈じゃわかってるけど、まぁ 息抜きしながら やっていきやしょうかぃねぇ。
すぐ真面目になりすぎるのは手前の日本人の血のわるいとこ、、、
日本人として遊び心、間 の血も忘れずに、、、 こんなときこそゴールを見失わないようにしなくちゃあいけねぇ


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