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聖霊降臨祭× 別れ× 生まれた国
ドイツでの生活も早3年。
オイリュトミー学校も2年目があと6週間で終わりやす。
自我の勉強。オイリュトミー、身体を通して学ぶアントロポゾフィー。
今までは公に言ったことはあまり無かったんですがぁ、手前は3年前福岡博多を出るとき、なんだか手前が生まれた国日本に愛想が吐いておりやした。日本の政治を筆頭に。
手前ももぅ子供じゃぁありやせん。否定することで物事が変わらないことも学びやした。
このオイリュトミーの学びのちょうど真ん中(時間的に)。
オイリュトミー
ー身体を通しての動き。動きを聴くということを学ぶ。
ー芸術としての側面を通しての内面、精神、心の学び
ー西洋と東洋の自我の性質の違い(外面から固める自我と内面から固めていく自我)
ー物質、エーテル、アストラル、自我と身体、心、Geistとフォーム、Raum(空間)、時間、のそれぞれの繋がり
ーエゴと自我、共有と馴れ合いの違い。
ー教育としてのオイリュトミーと芸術としてオイリュトミーの目指す場所。
そうしてようやっとのことで理解することが出来た。睡眠と目覚め、夢を見ながら目覚めているということの意味。はぁーーながかったーーー。
ほんとこの学び、、、、我慢と忍耐常に必要でさぁ、別に無理するこたぁないんですがぁねぇ。
こんな、霊的な学びとか、深めていってどうするんだろうかぃと手前自信にも問うんですがぁ、手前の心ぁ植物みてぇなもんで、どこに伸びるかぁ手前でも分かっちゃいねぇんですがぁ理屈道理に生きていけねぇみてぇで、、
家族にぁ安心してもらえなくって申し訳ねぇんですが、それでも今こうやって学んでいることにぁきっと意味があると思ってやっていきやす。
一度、二度死んだこのこころ。
一度は学校の死んだ教育とメディアから、二度目は他の人の死を通して。
心が死ぬことでしか命を続けていくことが出来なかったから、、生きた心のままじゃぁ辛過ぎて、怠け者で自分で殺したこの心を今ゆっくりとまた動かしていっているような気がしやす。
生きる意味やら生活やら
手前ぁオイリュトミストですからぁ、身体で考えていくことにしやさぁ。真実をみるってのぁ、一大事業かもしれやせん。
米 この夏に学校変えてスイスに移り住む予定でさぁ。
オイリュトミー学校も2年目があと6週間で終わりやす。
自我の勉強。オイリュトミー、身体を通して学ぶアントロポゾフィー。
今までは公に言ったことはあまり無かったんですがぁ、手前は3年前福岡博多を出るとき、なんだか手前が生まれた国日本に愛想が吐いておりやした。日本の政治を筆頭に。
手前ももぅ子供じゃぁありやせん。否定することで物事が変わらないことも学びやした。
このオイリュトミーの学びのちょうど真ん中(時間的に)。
オイリュトミー
ー身体を通しての動き。動きを聴くということを学ぶ。
ー芸術としての側面を通しての内面、精神、心の学び
ー西洋と東洋の自我の性質の違い(外面から固める自我と内面から固めていく自我)
ー物質、エーテル、アストラル、自我と身体、心、Geistとフォーム、Raum(空間)、時間、のそれぞれの繋がり
ーエゴと自我、共有と馴れ合いの違い。
ー教育としてのオイリュトミーと芸術としてオイリュトミーの目指す場所。
そうしてようやっとのことで理解することが出来た。睡眠と目覚め、夢を見ながら目覚めているということの意味。はぁーーながかったーーー。
ほんとこの学び、、、、我慢と忍耐常に必要でさぁ、別に無理するこたぁないんですがぁねぇ。
こんな、霊的な学びとか、深めていってどうするんだろうかぃと手前自信にも問うんですがぁ、手前の心ぁ植物みてぇなもんで、どこに伸びるかぁ手前でも分かっちゃいねぇんですがぁ理屈道理に生きていけねぇみてぇで、、
家族にぁ安心してもらえなくって申し訳ねぇんですが、それでも今こうやって学んでいることにぁきっと意味があると思ってやっていきやす。
一度、二度死んだこのこころ。
一度は学校の死んだ教育とメディアから、二度目は他の人の死を通して。
心が死ぬことでしか命を続けていくことが出来なかったから、、生きた心のままじゃぁ辛過ぎて、怠け者で自分で殺したこの心を今ゆっくりとまた動かしていっているような気がしやす。
生きる意味やら生活やら
手前ぁオイリュトミストですからぁ、身体で考えていくことにしやさぁ。真実をみるってのぁ、一大事業かもしれやせん。
米 この夏に学校変えてスイスに移り住む予定でさぁ。

無いものねだり、ごまかし。
ただいま病気(風邪)の為、自宅療養中。
そして自分を振り返ってみると、自分の心を静める時間が足りなかったのかもなぁ、と反省。
同居人に話してみると、きっと心が休みたがってるのを無視して続けたからだと、、、、
女性は生理のときは痛くて寝る以外どうしようもない時もあるけど、それはきっとその痛みを通してじゃないと心を静められないから体が心の為にそうするんだと、、、、
はい、すいません。
自分自分に嘘ついてがんばりすぎたかもしれやせん。
そして体が弱ると、想いや考えも弱るもの。
今はヒーリングの音楽なんかを聴いて心を調節中。
昔の楽器で今は一般的じゃないものでも、響きの楽器ってやっぱり力があると思ぇやす。
クリスタルボウルやら仏壇のおりんやら、チェロとかコントラバスも空気を溶かして揺らしてくれるからなんだか風呂にでも入ってるような気持ちになりやす。
ドイツの今の安アパートはシャワーしかないし、隙間風も、、、、(きっと単純にそのせいで風邪引いたのもあると思ぇやす。)
そんな中、音と光ってのぁ時にまったくもって大きな力を感じさせるなぁ、なんてことを思っておりやす。
でもそうやってるのぁ、オイリュトミーから逃げてるだけなんですがね
たまにぁ逃げたり、思いっきり力抜くってのあ物事を深めていく上で一番大切なんじゃねぇかなぁ。
なんてことを考えさせられておりやす。
それにしても、そんな心の影響がいやおうなしに身体に出るオイリュトミー、、、、
つるかめつるかめ、、、、

そして自分を振り返ってみると、自分の心を静める時間が足りなかったのかもなぁ、と反省。
同居人に話してみると、きっと心が休みたがってるのを無視して続けたからだと、、、、
女性は生理のときは痛くて寝る以外どうしようもない時もあるけど、それはきっとその痛みを通してじゃないと心を静められないから体が心の為にそうするんだと、、、、
はい、すいません。

自分自分に嘘ついてがんばりすぎたかもしれやせん。
そして体が弱ると、想いや考えも弱るもの。
今はヒーリングの音楽なんかを聴いて心を調節中。
昔の楽器で今は一般的じゃないものでも、響きの楽器ってやっぱり力があると思ぇやす。
クリスタルボウルやら仏壇のおりんやら、チェロとかコントラバスも空気を溶かして揺らしてくれるからなんだか風呂にでも入ってるような気持ちになりやす。
ドイツの今の安アパートはシャワーしかないし、隙間風も、、、、(きっと単純にそのせいで風邪引いたのもあると思ぇやす。)
そんな中、音と光ってのぁ時にまったくもって大きな力を感じさせるなぁ、なんてことを思っておりやす。
でもそうやってるのぁ、オイリュトミーから逃げてるだけなんですがね
たまにぁ逃げたり、思いっきり力抜くってのあ物事を深めていく上で一番大切なんじゃねぇかなぁ。なんてことを考えさせられておりやす。

それにしても、そんな心の影響がいやおうなしに身体に出るオイリュトミー、、、、
つるかめつるかめ、、、、
我慢、、、
オイリュトミー2年生。
ようやく身体を響かせるということを意識できるようになってき始めた今日この頃、、、
嬉しい反面、一緒にオイリュトミーをやっている人の中で身体が響いていない人を感じるようになってきておぃおぃおぃ、、、、
それは、あたかもコーラスの中で音が、声が響きあっている中であたかもその人が音としての声ではなく、普段しゃべるような声で声を出している、、、、
それは感じられるようになると、とても滑稽に感じるけど、分からない人にとっては分からない、、、、、
そんな苦悩が始まっておりやす。
オイリュトミー学校の2年生ではよく病気の人が出るというけど、それが分かれ目のような時期なんだと思ぇやす。
オイリュトミー、、、、
あいかわらず奥が深いでさぁ、、、、
自分の音を保つこと、、
それでもハーモニーの中に居るということ、、、、
それにしても響きあう空間の中で自分を保つことがこんなにもむずかしぃとは、、、、
キチンと自分のパートを淀みなく唄うこと、
オイリュトミーという動きを通して、、、
即興を得意分野とする手前としては苦手な分野でして、毎日楽譜やらともにやるメンバーと時間をかけて繰り返しやっていくしかないことなんでしょうねぃ、 いやぁー 自由になるために迷い無く感じる、自分の中の自我を鍛えて鍛えて、、、むんむんむん
すべてはプロセスの中で時間をかけて作り上げていくもの、、、
理屈じゃわかってるけど、まぁ 息抜きしながら やっていきやしょうかぃねぇ。
すぐ真面目になりすぎるのは手前の日本人の血のわるいとこ、、、
日本人として遊び心、間 の血も忘れずに、、、 こんなときこそゴールを見失わないようにしなくちゃあいけねぇ
ようやく身体を響かせるということを意識できるようになってき始めた今日この頃、、、
嬉しい反面、一緒にオイリュトミーをやっている人の中で身体が響いていない人を感じるようになってきておぃおぃおぃ、、、、
それは、あたかもコーラスの中で音が、声が響きあっている中であたかもその人が音としての声ではなく、普段しゃべるような声で声を出している、、、、
それは感じられるようになると、とても滑稽に感じるけど、分からない人にとっては分からない、、、、、
そんな苦悩が始まっておりやす。
オイリュトミー学校の2年生ではよく病気の人が出るというけど、それが分かれ目のような時期なんだと思ぇやす。
オイリュトミー、、、、
あいかわらず奥が深いでさぁ、、、、
自分の音を保つこと、、
それでもハーモニーの中に居るということ、、、、
それにしても響きあう空間の中で自分を保つことがこんなにもむずかしぃとは、、、、
キチンと自分のパートを淀みなく唄うこと、
オイリュトミーという動きを通して、、、
即興を得意分野とする手前としては苦手な分野でして、毎日楽譜やらともにやるメンバーと時間をかけて繰り返しやっていくしかないことなんでしょうねぃ、 いやぁー 自由になるために迷い無く感じる、自分の中の自我を鍛えて鍛えて、、、むんむんむん
すべてはプロセスの中で時間をかけて作り上げていくもの、、、
理屈じゃわかってるけど、まぁ 息抜きしながら やっていきやしょうかぃねぇ。
すぐ真面目になりすぎるのは手前の日本人の血のわるいとこ、、、
日本人として遊び心、間 の血も忘れずに、、、 こんなときこそゴールを見失わないようにしなくちゃあいけねぇ

オイリュトメウムの2年生。
オイリュトメウムの2年生。
9月から始まってもぅすでに1月が経ちやした。
え〜、状況はと言うと。
最初にいた14人から、1人が妊娠。1人が精神的な病で。2人が国(スロバキア)に帰って。
2年生が始まってすぐに、ドイツ人の子がやりたかったのは、もっと目に見えて目まぐるしい学校生活だといって教育か精神科を勉強する大学に行くといって去っていきやした。
一年生の途中からスイスのドルナッハで育った、ドイツ人の子が1人。
台湾から、一年生の最後にまた1人。新しいどちらも女性が入ってきて。
換算すると
最初は男4人、女性10人だった手前達のオイリュトミーグループは、只今男3人、女性が8人の11人のグループになりやした。
オイリュトミーでは一人一人が空間を作り上げる作業をするので、いる人間が変わると、出来上がっていく空間も変わってきて、別れは寂しいものだけど、だんだんとみんなの自我もそうやって育てられていっている模様でありやす。
え〜、今問題になっているのは、1人の男の子がまだ若いと言うことと、女性に慣れていないということで少し揉めている模様でありやす。
オイリュトミーでは心を表現することをするので、嘘が付けないこともあり、思っていることや、感じていることが動きに出たりして、ある意味特に女性男性関係においてはなかなか人によって難しいようでありやす。
1人間同士として早く、異性の壁を越えて学びを深めていきたい!!!と言うのがもっぱらの問題。
オイリュトミーでは心を使う。
と言う事をするので、心で感じ易い女性がグループのなかで一度1人の人に対して苦手意識や嫌悪感を持つと空間に時折、形となって表れてグループのフォームなどを練習すると、その人にとってはなかなか大変な影響を及ぼすようで、、、、
どうなることやら、、、、
近況はまた随時追って報告いたしやす。
9月から始まってもぅすでに1月が経ちやした。
え〜、状況はと言うと。
最初にいた14人から、1人が妊娠。1人が精神的な病で。2人が国(スロバキア)に帰って。
2年生が始まってすぐに、ドイツ人の子がやりたかったのは、もっと目に見えて目まぐるしい学校生活だといって教育か精神科を勉強する大学に行くといって去っていきやした。
一年生の途中からスイスのドルナッハで育った、ドイツ人の子が1人。
台湾から、一年生の最後にまた1人。新しいどちらも女性が入ってきて。
換算すると
最初は男4人、女性10人だった手前達のオイリュトミーグループは、只今男3人、女性が8人の11人のグループになりやした。
オイリュトミーでは一人一人が空間を作り上げる作業をするので、いる人間が変わると、出来上がっていく空間も変わってきて、別れは寂しいものだけど、だんだんとみんなの自我もそうやって育てられていっている模様でありやす。
え〜、今問題になっているのは、1人の男の子がまだ若いと言うことと、女性に慣れていないということで少し揉めている模様でありやす。
オイリュトミーでは心を表現することをするので、嘘が付けないこともあり、思っていることや、感じていることが動きに出たりして、ある意味特に女性男性関係においてはなかなか人によって難しいようでありやす。
1人間同士として早く、異性の壁を越えて学びを深めていきたい!!!と言うのがもっぱらの問題。
オイリュトミーでは心を使う。
と言う事をするので、心で感じ易い女性がグループのなかで一度1人の人に対して苦手意識や嫌悪感を持つと空間に時折、形となって表れてグループのフォームなどを練習すると、その人にとってはなかなか大変な影響を及ぼすようで、、、、
どうなることやら、、、、
近況はまた随時追って報告いたしやす。
シュタイナー氏は日本のオイリュトミーについて好きにやらせろと、
オイリュトミーを学ぶ中色んな人と知り合って、只今ちょっとチャクラの事とカーマスートラの事を調べておりやす。
オイリュトミーの多数出ているドイツ語の本のなかでもチャクラの事と併用している本は感覚的に判り易いようなんでさぁ。
目に見える音楽言葉としてのオイリュトミー。
そこで使う感覚は普段生活している無意識にやってることを意識的にやることから始まりやす。
現代人が意識的に使う事が少なくなってきている、もしくは意識的にすることが難しくなっている感覚。
彫刻から動きを読み取る力、やった人間の思考を読み取る力。人と人との繋がりを感じる力。自分自身を通して表現する力。
その目に見えない記述する事が容易くない感覚。
それがあやふやになっていく今の世の中で、それが不安となって大きくなりやす。
現代芸術で良く題材にされるテーマ、なにが正しくてなにが間違いなのか。美しいものが芸術なのか。
何が善で何が悪なのかそれらを良い悪いとして扱うべきなのか。
少しづつでも手前のオイリュトミーを具体的にしていく為にこうやって書き進めていく事にしやす。
一年間。
Stuttgartオイリュトメウムで人間関係、講師との関係、オイリュトメウムが前年から始めたシュタイナー学校教員養成コースからの授業との折り合い。
本当に多くのことを学ばせてもらいやした。
オイリュトミーのダンスと他の身体芸術との違う点はオイリュトミーを他の人とやっていく中で共同の感覚が生まれてくるということ。
オイリュトミーの大切な点として思考、感覚、身体を繋げていくという作業をするということ。
初めは一人一人が、そしてそれを他の人と繋げていく、空間を形づくっていくというもの。
基本としてアルファベットと音階が決まっていやす。フォーム(空間をどう動くか)。そして表現していく音楽や詩の内容とそれぞれの人によっての表現方法。そしてそれらは全て心臓を通して本当に理解できるってことらしいでさぁ。
ん〜、オペラとも少し通うところがあるような感じを手前は持ってるし、御伽噺をやる時は演劇のような感情も使いやす。
そこはもう私立シュタイナー学校の大切な一科目でしたからねぃ。
だけどいま、さまざまな教育問題の中ドイツのシュタイナー学校の中でもオイリュトミーを主要科目から外す学校も出て来ていやす。
それは色々に分かれたオイリュトミストの中での危機を現しているような気がしやす。
世界中にあるオイリュトミー学校。さまざまに分かれる意見。この物質主義社会でオイリュトミーもシュタイナー学校(ヴァルドルフ学校)は常に危機を迫られている気がしやす。
7月の20日から9月の初めまでの日本の滞在。
いまから不安がいっぱい。
なれた食べ物、水、空気の違い。なにせ手前の家は博多の真中あたり、、、、
はぁ、お金ないのに水とか買いたくねぇなぁ。
この際隠居して、、、、でもオイリュトミーを色んな人の役にたてたいなんて思いながらその前に需要あるのかって話しだけど、これが手前の道ですからねぃ。生きていることに感謝して、お金はまぁ、ね、野草とかに塩かけて食いながら、でも本当に生活してる土地のものを食べるってのぁ大切な事でさぁ。
さぁさぁ都会とオイリュトミーの共生、、、、手前の課題となるやらどうやら、、、ドイツでウェレダとかのマッサージを学んでそれを生活の糧にしてやれたらいいなぁ。
少しずつでも確実に形にしていこうと思ぇやす。
こぅやって書きながらね、まずは何事も心構えから。
こっちで知り合った日本人の人に教えてもらった事。
ほんとうに日本を離れてから日本を大切に思えるようになったことを有り難く思ぇやす。
あと最初に書いたチャクラの話とも少しつながりやすが、最近影と光を描くってのに挑戦してまた一つ何かを学んだ気がしやす。
これは場所環境関係ないので意欲があったら是非やってみてくだせぇ。
それはただキャンドルを描くってぇだけ。絵コンテ用なんかの鉛筆の芯だけの鉛筆なんかで。
影の美しさ 影を描く、それがこんなに心を落ち着けるもんだとぁ知りやせんでしたぃ。
黒と白だけなのに指先も使いながらあいた時間なんかに少しづつ。時間をかけるってのが大切な点でさぁ^^☆。
オイリュトミーの多数出ているドイツ語の本のなかでもチャクラの事と併用している本は感覚的に判り易いようなんでさぁ。
目に見える音楽言葉としてのオイリュトミー。
そこで使う感覚は普段生活している無意識にやってることを意識的にやることから始まりやす。
現代人が意識的に使う事が少なくなってきている、もしくは意識的にすることが難しくなっている感覚。
彫刻から動きを読み取る力、やった人間の思考を読み取る力。人と人との繋がりを感じる力。自分自身を通して表現する力。
その目に見えない記述する事が容易くない感覚。
それがあやふやになっていく今の世の中で、それが不安となって大きくなりやす。
現代芸術で良く題材にされるテーマ、なにが正しくてなにが間違いなのか。美しいものが芸術なのか。
何が善で何が悪なのかそれらを良い悪いとして扱うべきなのか。
少しづつでも手前のオイリュトミーを具体的にしていく為にこうやって書き進めていく事にしやす。
一年間。
Stuttgartオイリュトメウムで人間関係、講師との関係、オイリュトメウムが前年から始めたシュタイナー学校教員養成コースからの授業との折り合い。
本当に多くのことを学ばせてもらいやした。
オイリュトミーのダンスと他の身体芸術との違う点はオイリュトミーを他の人とやっていく中で共同の感覚が生まれてくるということ。
オイリュトミーの大切な点として思考、感覚、身体を繋げていくという作業をするということ。
初めは一人一人が、そしてそれを他の人と繋げていく、空間を形づくっていくというもの。
基本としてアルファベットと音階が決まっていやす。フォーム(空間をどう動くか)。そして表現していく音楽や詩の内容とそれぞれの人によっての表現方法。そしてそれらは全て心臓を通して本当に理解できるってことらしいでさぁ。
ん〜、オペラとも少し通うところがあるような感じを手前は持ってるし、御伽噺をやる時は演劇のような感情も使いやす。
そこはもう私立シュタイナー学校の大切な一科目でしたからねぃ。
だけどいま、さまざまな教育問題の中ドイツのシュタイナー学校の中でもオイリュトミーを主要科目から外す学校も出て来ていやす。
それは色々に分かれたオイリュトミストの中での危機を現しているような気がしやす。
世界中にあるオイリュトミー学校。さまざまに分かれる意見。この物質主義社会でオイリュトミーもシュタイナー学校(ヴァルドルフ学校)は常に危機を迫られている気がしやす。
7月の20日から9月の初めまでの日本の滞在。
いまから不安がいっぱい。
なれた食べ物、水、空気の違い。なにせ手前の家は博多の真中あたり、、、、
はぁ、お金ないのに水とか買いたくねぇなぁ。
この際隠居して、、、、でもオイリュトミーを色んな人の役にたてたいなんて思いながらその前に需要あるのかって話しだけど、これが手前の道ですからねぃ。生きていることに感謝して、お金はまぁ、ね、野草とかに塩かけて食いながら、でも本当に生活してる土地のものを食べるってのぁ大切な事でさぁ。
さぁさぁ都会とオイリュトミーの共生、、、、手前の課題となるやらどうやら、、、ドイツでウェレダとかのマッサージを学んでそれを生活の糧にしてやれたらいいなぁ。
少しずつでも確実に形にしていこうと思ぇやす。
こぅやって書きながらね、まずは何事も心構えから。
こっちで知り合った日本人の人に教えてもらった事。
ほんとうに日本を離れてから日本を大切に思えるようになったことを有り難く思ぇやす。
あと最初に書いたチャクラの話とも少しつながりやすが、最近影と光を描くってのに挑戦してまた一つ何かを学んだ気がしやす。
これは場所環境関係ないので意欲があったら是非やってみてくだせぇ。
それはただキャンドルを描くってぇだけ。絵コンテ用なんかの鉛筆の芯だけの鉛筆なんかで。
影の美しさ 影を描く、それがこんなに心を落ち着けるもんだとぁ知りやせんでしたぃ。
黒と白だけなのに指先も使いながらあいた時間なんかに少しづつ。時間をかけるってのが大切な点でさぁ^^☆。





